『源氏物語』の現代語訳:夕顔21

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“世の人に似ず、ものづつみをし給ひて人に物思ふ気色を見えむを~”が、このページによって解説されています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

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[古文・原文]

世の人に似ず、ものづつみをし給ひて人に物思ふ気色を見えむを、恥づかしきものにし給ひて、つれなくのみもてなして、御覧ぜられ奉り給ふめりしか」と語り出づるに、「さればよ」と、思し合はせて、いよいよあはれまさりぬ。

「幼き人惑はしたりと、中将の愁へしは、さる人や」と問ひ給ふ。「しか。一昨年の春ぞ、ものし給へりし。女にて、いとらうたげになむ」と語る。

「さて、いづこにぞ。人にさとは知らせで、我に得させよ。あとはかなく、いみじと思ふ御形見(おんかたみ)に、いとうれしかるべくなむ」とのたまふ。「かの中将にも伝ふべけれど、言ふかひなきかこと負ひなむ。とざまかうざまにつけて、育まむに咎あるまじきを。そのあらむ乳母などにも、ことざまに言ひなして、ものせよかし」など語らひ給ふ。

「さらば、いとうれしくなむはべるべき。かの西の京にて生ひ出で給はむは、心苦しくなむ。はかばかしく扱ふ人なしとて、かしこに」など聞ゆ。

[現代語訳]

世間の人と違っていて、引っ込み思案で、人から物思いをしている様子を見られるのを恥ずかしいとお思いになられて、さりげない感じを装って、お目通りをしていらっしゃるようにございました」と右近が話し出すと、「そうだったのか」とお思い合わせになられて、ますます不憫に思う気持ちが強まった。

「幼い子を行くえ知れずにしてしまったと、頭中将が憂えていたのは、そのような子がいたのか」と源氏の君がお尋ねになられた。「その通りでございます。一昨年の春に、お産まれになりました。女の子で、とてもかわいらしくて」と語った。

「それで、その子はどこにいるのか。誰にもそうとは知らせずに、私にその子を与えてくれないか。とても儚くて失って辛いと思っている人のお形見として、どんなに嬉しいだろうか。」とおっしゃる。「あの中将にも伝えるべきだが、言っても仕方のない愚痴を言われるだろう。あれこれ理由をつけて、お育てするのに不都合はないだろう。その一緒にいる乳母などにも 違った感じで理由を言い繕って、連れてきてほしい。」などと源氏の君はお語りになられた。

「それならば、とても嬉しいことでしょう。あの西の京で生まれて育てられるというのは、心苦しいことでございます。影響力のある後見人もいないのですから、あちらで」などと右近は申し上げる。

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[古文・原文]

夕暮の静かなるに、空の気色いとあはれに、御前の前栽(せんざい)枯れ枯れに、虫の音も鳴き枯れて、紅葉のやうやう色づくほど、絵に描きたるやうにおもしろきを見わたして、心より他にをかしき交じらひかなと、かの夕顔の宿りを思ひ出づるも恥づかし。竹の中に家鳩といふ鳥の、ふつつかに鳴くを聞き給ひて、かのありし院にこの鳥の鳴きしを、いと恐ろしと思ひたりしさまの、面影にらうたく思し出でらるれば、

「年はいくつにかものし給ひし。あやしく世の人に似ず、あえかに見え給ひしも、かく長かるまじくてなりけり」とのたまふ。

「十九にやなり給ひけむ。右近は、亡くなりにける御乳母の捨て置きて侍りければ、三位の君のらうたがり給ひて、かの御あたり去らず、生ほしたて給ひしを思ひ給へ出づれば、いかでか世に侍らむずらむ。

いとしも人にと、悔しくなむ。ものはかなげにものし給ひし人の御心を、頼もしき人にて、年頃ならひ侍りけること」と聞ゆ。

[現代語訳]

夕暮れの静かな頃に、空の様子がとてもしみじみとしていて、お庭の前栽は枯れ枯れとなり、虫の音も鳴き声が弱っていって、紅葉が段々と色づいていくのが、絵に描いたように美しいのを見渡して、思っていた以上の素晴らしい宮中の交わりをしてきたなと、あの夕顔の宿を思い出すのも恥ずかしい。竹やぶの中に家鳩という鳥が、太い声で鳴くのをお聞きになられて、あの先日、院でこの鳥が鳴いたのを、とても怖いと思っていた様子が、記憶の中に可愛らしくお思い出されるので、

「年はいくつだったのだろうか。不思議に世の中の人とは違っていて、か弱くお見えになられたが、このように長生きできない運命だったからなのか。」とおっしゃる。

「19歳におなりだったでしょうか。右近(わたし)は、亡くなった乳母が残していった形見でしたので、三位の君様がかわいがって下さって、お嬢様(夕顔)のお側を離れず、一緒にお育て下さったのを思い出すと、どうして私だけが世に生きていられるでしょうか。

なぜこんなに親しくなってしまったのだろうと、悔しく思われます。儚く弱々しい感じでいらっしゃったお嬢様のお気持ちを信じ、頼りになるお方と思って、長年仕えてまいったのでございます。」と申し上げる。

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[古文・原文]

「はかなびたるこそは、らうたけれ。かしこく人になびかぬ、いと心づきなきわざなり。自らはかばかしくすくよかならぬ心ならひに、女はただやはらかに、とりはづして人に欺かれぬべきが、さすがにものづつみし、見む人の心には従はむなむ、あはれにて、我が心のままにとり直して見むに、なつかしくおぼゆべき」などのたまへば、

「この方の御好みには、もて離れ給はざりけり、と思ひ給ふるにも、口惜しく侍るわざかな」とて泣く。

空のうち曇りて、風冷やかなるに、いといたく眺め給ひて、

「見し人の 煙を雲と眺むれば 夕べの空も 睦ましきかな」

と独りごち給へど、えさし答へも聞こえず。かやうにて、おはせましかば、と思ふにも、胸塞がりておぼゆ。耳かしかましかりし砧(きぬた)の音を、思し出づるさへ恋しくて、「正に長き夜」とうち誦じて、臥し給へり。

[現代語訳]

「頼りのない感じの女こそ、可愛らしいものである。賢くて人になびかない女は、とても気持ちが惹かれないものなのだ。自分が優れておらずしっかりしていない性格だから、女はただ従順で、気を抜けば男に欺かれてしまいそうなのが良い、更に引っ込み思案な性格で、好きな男の心には従ってくれるというのが、愛おしくて、自分の心のままに育てなおしてみれば、恋しく思われるものだ。」などとおっしゃると、

「(夕顔様は)あなたのお好みにきっと合っていた女性だろうと、思われますから、亡くなられてしまわれたのは本当に残念なことでございます。」と言って泣く。

空が少し曇って、風も冷たくなると、とても感慨深げにお思いになられて、

「契りを交わしていた人の火葬の煙を、あの雲になったのかと眺めていると、この夕方の空さえも仲睦まじいものに思われることよ。」

と独りで歌を詠まれたが、ご返歌も申し上げられない。このように、生きていらっしゃったらと思うにつけても、胸が塞がるような感じで思いに耽ってしまう。耳障りだった砧の音を、お思い出しになられることまでが恋しくて、「(8~9月の)正に長き夜」と口ずさんで、床でお臥せになられた。

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