『源氏物語』の現代語訳:夕顔19

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“大徳たちも、誰とは知らぬに、あやしと思ひて、皆、涙落としけり~”が、このページによって解説されています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

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[古文・原文]

大徳たちも、誰とは知らぬに、あやしと思ひて、皆、涙落としけり。右近を、「いざ、二条へ」とのたまへど、

「年ごろ、幼くはべりしより、片時たち離れたてまつらず、馴れきこえつる人に、にはかに別れたてまつりて、いづこにか帰りはべらむ。いかになり給ひにきとか、人にも言ひはべらむ。悲しきことをばさるものにて、人に言ひ騒がれはべらむが、いみじきこと」と言ひて、泣き惑ひて、「煙にたぐひて、慕ひ参りなむ」と言ふ。

「道理なれど、さなむ世の中はある。別れと言ふもの、悲しからぬはなし。とあるもかかるも、同じ命の限りあるものになむある。思ひ慰めて、我を頼め」と、のたまひこしらへて、「かく言ふ我が身こそは、生きとまるまじき心地すれ」とのたまふも、頼もしげなしや。

惟光、「夜は、明け方になりはべりぬらむ。はや帰らせ給ひなむ」と聞こゆれば、返りみのみせられて、胸もつと塞がりて出で給ふ。

[現代語訳]

大徳の僧侶たちも、この方を誰とは知らなかったが、何か事情があるのだろうと思って、皆が涙を落とした。源氏の君は、右近に「さあ、二条へ行きましょう」とおっしゃったけれど、

「長年の間、まだ幼かった時から、片時もお離れ申しあげずに、馴れ親しんできた方に、急にお別れを申し上げて、どこに帰れば良いというのでしょう。どのようにおなりになったと、人に言うことができるでしょう。悲しいことはそうなのですが、みんなに色々と言われて騒がれることがつらいのです」と言って、泣き崩れて、「煙に交じって、後を追うようにお慕い申し上げます」と言う。

「もっともな話ではあるが、世の中はそのようなものなのだ。別れというもので、悲しくないものはない。先立つ者も残される者も、同じように生命には限りがあるのだ。傷ついた思いを慰めて、私を頼れば良い」と、おっしゃりながら、「このように言う我が身こそ、生きながらえられそうにもない気持ちがする」とおっしゃる。何とも頼もしげがないことである。

惟光が、「夜も明け方になってしまいそうです。早くお帰りにならなければなりません」と申し上げるので、源氏は後ろを振り返りながら、胸がふさがるようなつらい思いをして退出なさる。

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[古文・原文]

道いと露けきに、いとどしき朝霧に、いづこともなく惑ふ心地し給ふ。ありしながらうち臥したりつるさま、うち交はし給へりしが、我が御紅の御衣の着られたりつるなど、いかなりけむ契りにかと道すがら思さる。御馬にも、はかばかしく乗り給ふまじき御さまなれば、また、惟光添ひ助けておはしまさするに、堤のほどにて、御馬よりすべり下りて、いみじく御心地惑ひければ、

「かかる道の空にて、はふれぬべきにやあらむ。さらに、え行き着くまじき心地なむする」とのたまふに、惟光心地惑ひて、「我がはかばかしくは、さのたまふとも、かかる道に率て出でたてまつるべきかは」と思ふに、いと心あわだたしければ、川の水に手を洗ひて、清水の観音を念じたてまつりても、すべなく思ひ惑ふ。

君も、しひて御心を起こして、心のうちに仏を念じ給ひて、また、とかく助けられ給ひてなむ、二条院へ帰り給ひける。

[現代語訳]

道中はとても露っぽく、更に凄い朝霧が出ていて、どこだか分からない道に迷ったような気持ちになった。生前の姿のままで横たわっていた様子、お互いに衣を掛け合っておやすみになったのだろうか、ご自分の紅のお着物が着せ掛けてあったことなど、この女とどのような前世の因縁があったのだろうかと、道すがらお思いになられたのだった。お馬にも、しっかりお乗りになることができそうにないご様子なので、また、惟光が介添えをしてお連れしていくと、堤の辺りで、馬からすべり下りて、とても気持ちが混乱しておられる。

「このような露天の道端で、野垂れ死んでしまうのだろうか。本当に、帰り着くことができそうにない気がする」とおっしゃるので、惟光の気持ちも迷って、「私がしっかりしていれば、源氏の君が行きたいとおっしゃっても、このような道にまでお連れ申し上げるべきではなかったのだ」と思うと、とても慌ただしい落ち着かない気持ちになるので、鴨川の水で手を洗って、清水の観音を拝み申し上げても、どうしようもなくて思い悩んでしまう。

源氏の君も、何とか気を取り直して、心の中で仏を拝みになられて、また、あれこれ助けられながら、二条院へお帰りになられたのであった。

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[古文・原文]

あやしう夜深き御歩きを、人びと、「見苦しきわざかな。このごろ、例よりも静心なき御忍び歩きの、しきるなかにも、昨日の御気色の、いと悩ましう思したりしに。 いかでかく、たどり歩き給ふらむ」と、嘆きあへり。

まことに、臥し給ひぬるままに、いといたく苦しがり給ひて、二、三日になりぬるに、むげに弱るやうにしたまふ。内裏にも、聞こしめし、嘆くこと限りなし。御祈り、方々に隙なくののしる。祭、祓(はらえ)、修法(しゅうほう)など、言ひ尽くすべくもあらず。世にたぐひなくゆゆしき御ありさまなれば、世に長くおはしますまじきにやと、天の下の人の騒ぎなり。

苦しき御心地にも、かの右近を召し寄せて、局など近く給ひて、さぶらはせたまふ。 惟光、心地も騒ぎ惑へど、思ひのどめて、この人のたづきなしと思ひたるを、もてなし助けつつさぶらはす。

[現代語訳]

奇妙な深夜のお忍びの散策を、女房たちは、「お見苦しいことだ。最近、いつもより落ち着きのないお忍び歩きが続いている中でも、昨日のご様子が、とても悩ましげな感じでございましたが。どうしてこのように、ふらふらと外に歩きに出られるのでしょう」と、嘆き合っていた。

本当に、お臥せになったままで、とてもひどく苦しみになられていて、2~3日も苦しみが続いたので、完全に衰弱したご様子でいらっしゃる。内裏の帝も、その弱った様子をお聞きになられ、嘆かれることはこの上ない。御祈祷をして、方々の寺々では暇なく大騒ぎをしている。お祭り、お祓い、修法など、言い尽くすことができないほどである。この世に類例のない美しいご様子をしておられるので、この世で長く生きることが難しいのではないかと、天下の人々が騒いでいた。

苦しいご気分ではあったが、源氏はあの右近を呼び寄せて、部屋などを近くにお与えになり、自分に仕えさせた。惟光は、気持ちが乱れて胸騒ぎがしていたが、思いを落ち着けて、この右近が(主人を亡くした悲しみに苦しみ、知らない女房たちの中に入って)心細くて頼りなさそうな感じでいるので、支えて助けてやりながら源氏にお仕えさせた。

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