紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。
『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“御前駆の松明ほのかにて、いと忍びて出でたまふ~”が、このページによって解説されています。
参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)
[古文・原文]
御前駆の松明ほのかにて、いと忍びて出で給ふ。半蔀は下ろしてけり。隙々より見ゆる灯の光、蛍よりけにほのかにあはれなり。
御心ざしの所には、木立前栽など、なべての所に似ず、いとのどかに心にくく住みなし給へり。うちとけぬ御ありさまなどの、気色ことなるに、ありつる垣根思ほし出でらるべくもあらずかし。
翌朝、すこし寝過ぐし給ひて、日さし出づるほどに出で給ふ。朝明の姿は、げに人のめできこえむも、ことわりなる御さまなりけり。
今日もこの蔀の前渡りし給ふ。来し方も過ぎ給ひけむわたりなれど、ただはかなき一ふしに御心とまりて、『いかなる人の住み処ならむ』とは、往き来に御目とまり給ひけり。
[現代語訳]
前駆する者の松明を弱く照らして、とても静かにお出かけになる。半蔀は既に下ろされていた。隙間から見える灯火の明かりは、蛍よりもさらに微かでしみじみとした趣きがある。
お目当ての所は、木立や前栽などが、一般の所とは違っている様子で、非常にゆったりとしていて奥ゆかしい感じで住んでおられる。打ち解けないご様子なども、他の人とは異なっており、先ほどの垣根の女などは思い出すこともない。
翌朝は少し寝過ごしてしまわれて、日が差し出る頃にお帰りになった。朝帰りの姿は、確かに世間の人が賞賛するのも、もっともというべき美しさである。
今日もこの半蔀の前をお通り過ぎになる。今までも通り過ぎていた辺りなのだが、ほんのちょっとした事にもお気持ちを惹かれてしまい、『どのような女が住んでいる家なのだろうか』と思っては、行き帰りにお目が止まってしまわれるのである。
[古文・原文]
惟光、日頃ありて参れり。
『わづらひはべる人、なほ弱げにはべれば、とかく見給へあつかひてなむ』
など、聞こえて、近く参り寄りて聞こゆ。
『仰せられしのちなむ、隣のこと知りてはべる者、呼びて問はせはべりしかど、はかばかしくも申しはべらず。『いと忍びて、五月のころほひよりものし給ふ人なむあるべけれど、その人とは、さらに家の内の人にだに知らせず』となむ申す。
時々、中垣のかいま見しはべるに、げに若き女どもの透影見えはべり。褶だつもの、かことばかり引きかけて、かしづく人はべるなめり。
昨日、夕日のなごりなくさし入りてはべりしに、文書くとてゐてはべりし人の、顔こそいとよくはべりしか。もの思へるけはひして、ある人びとも忍びてうち泣くさまなどなむ、しるく見えはべる』
と聞こゆ。君うち笑み給ひて、『知らばや』と思ほしたり。
[現代語訳]
惟光が数日してから参上した。
『患っております者が、依然として体調が悪そうでございましたので、あれこれ看病致しておりまして。』
などと申し上げて、更に近くに寄ってから申し上げる。
『お話がございました後に、隣の家の事情を知っております者を呼んでから尋ねたのですが、はっきりとは分からないのです。「秘密にして、五月頃からおいでの方があるようですが、それが誰なのかは、その家の内の人にさえ全く知らせていないようだ」と申しております。
時々、中垣から覗き見してみますと、なるほど、若い女たちの動く影が透けて見えます。褶めいた物を、申しわけ程度にひっかけていて、彼女たちには仕えている主人の女がいるようでございます。
昨日、夕日がすっかり射し込んでいました時、手紙を書こうとして座っていた女人の顔が、とても綺麗でございました。憂鬱に沈んでいるような感じを受け、側にいる女房たちも一緒に涙を隠しながら泣いている様子などが、はっきり見えたのです。』
と申し上げた。源氏の君は微笑まれて、『もっと知りたいものだ』とお思いになった。
[古文・原文]
おぼえこそ重かるべき御身のほどなれど、御よはひのほど、人のなびきめできこえたるさまなど思ふには、好き給はざらむも、情けなくさうざうしかるべしかし、人のうけひかぬほどにてだに、なほ、さりぬべきあたりのことは、このましうおぼゆるものを、と思ひをり。
『もし、見給へ得ることもやはべると、はかなきついで作り出でて、消息など遣はしたりき。書き馴れたる手して、口とく返り事などしはべりき。いと口惜しうはあらぬ若人どもなむはべるめる』と聞こゆれば、
『なほ言ひ寄れ。尋ね寄らでは、さうざうしかりなむ』とのたまふ。
かの、下が下と、人の思ひ捨てし住まひなれど、その中にも、思ひのほかに口惜しからぬを見つけたらばと、めづらしく思ほすなりけり。
[現代語訳]
世間のおぼえ(評判)こそ重々しいはずのご身分だが、ご年齢のほど、女房たちがお慕いしてお褒め申し上げている様子などを考えると、恋愛に興味をお感じにならないのは、風情がないし、きっと物足りないだろう。世間がその女との恋愛を認めないような身分の者でさえそうなのだから、やはり、しかるべき高い身分の人にとっては興味をそそられるものだろう、と思っている。
『もしかして、何か秘密を見つけることもあるかと、ちょっとした機会を作り、恋文などを出してみました。書き慣れた筆跡で、素早く返事などを寄こしてきました。そんなに悪くはない教養のある若い女房たちがいるようでございます。』と申し上げると、
『さらに近づいてこい。正体を突き止めないままでは、きっと物足りない感じがする。』と源氏の君はおっしゃる。
あの下層の下層の者が住む家かと、人が見下す住まいではあるが、その中にも、意外になかなかの風情がある女を見つけられたら嬉しいに違いないと、源氏の君はお思いになるのであった。
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