『源氏物語』の現代語訳:夕顔1

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“六条わたりの御忍び歩きのころ、内裏よりまかでたまふ 中宿に、~”が、このページによって解説されています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

[古文・原文]

六条わたりの御忍び歩きのころ、内裏よりまかで給ふ中宿に、大弐の乳母のいたくわづらひて 尼になりにける、とぶらはむとて、五条なる家尋ねておはしたり。

御車入るべき門は鎖したりければ、人して惟光召させて、待たせ給ひけるほど、むつかしげなる大路のさまを見わたし給へるに、この家のかたはらに、桧垣といふもの新しうして、上は半蔀四五間ばかり上げわたして、簾などもいと白う涼しげなるに、をかしき額つきの透影、あまた見えて覗く。

立ちさまよふらむ下つ方思ひやるに、あながちに丈高き心地ぞする。いかなる者の集へるならむと、やうかはりて思さる。

御車もいたくやつし給へり、前駆も追はせ給はず、誰れとか知らむとうちとけ給ひて、すこしさし覗き給へれば、門は蔀のやうなる、押し上げたる、見入れのほどなく、ものはかなき住まひを、あはれに、『何処かさして』と思ほしなせば、玉の台も同じことなり。

[現代語訳]

六条辺りにお忍びで通っていた頃、内裏からご退出なさる時の休息所に、大弍の乳母がひどく病んでいて尼になっていたのを、お見舞いしようとして、五条にある家を尋ねていった。

お車が入る為の正門は施錠がしてあったので、供人に惟光を呼び出させて、お待ちになられている間、むさ苦しい大路の様子を見渡していらっしゃると、この家の隣に桧垣という板垣を新しく作って、上方は半蔀を四、五間ほどずらりと吊り上げて、簾などもとても白く涼しそうに見える所に、簾の影から美しい額をした若い女たちがたくさん見えて、こちら側を覗いている。

立ち動き回っているらしい窓の下の下半身を想像すると、かなり背丈が高いという感じがする。どのような人たちが集まっているのだろうかと、少し不思議な家だとお思いになる。

お車もひどく地味にされて、先払いもさせず、自分が誰か分からないだろうからと、打ち解けた気分になって、少し顔を出して御覧になってみると、門は蔀のようなものを押し上げてあって、その奥行きはなく質素な佇まいの家である。しみじみとしながら、『どの家を終生の宿にしたものか』と考えていると、立派な御殿でもこの家でも結局、同じ事である。

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[古文・原文]

切懸だつ物に、いと青やかなる葛の心地よげに這ひかかれるに、白き花ぞ、おのれひとり笑みの眉開けたる。

『遠方人にもの申す』

と独りごち給ふを、御隋身ついゐて、

『かの白く咲けるをなむ、夕顔と申しはべる。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ咲きはべりける』

と申す。げにいと小家がちに、むつかしげなるわたりの、このもかのも、あやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬ軒のつまなどに這ひまつはれたるを、

『口惜しの花の契りや。一房折りて参れ』

とのたまへば、この押し上げたる門に入りて折る。

[現代語訳]

切懸の板塀みたいなものに、とても青々とした蔓草が気持ちよさげに這いまつわっているところに、白い花が自分ひとりで微笑むようにして咲いている。

『遠方の人にお尋ねする』

と独り言をおっしゃると、御随身がひざまずいて、

『あの白く咲いている花は夕顔と申すものです。花の名は人間の名前のようなのですが、このような賤しい垣根にも見事に咲くのでございます』

と申し上げる。その言葉の通りに、とても小さい家が多くてむさ苦しく見えるこの界隈で、この家もかの家も、見苦しい感じでちょっと傾いており、頼りなさげな軒の端などにも這いまつわっているのを、

『気の毒な花の運命よ。一房、手折ってきてくれ』

とおっしゃるので、この押し上げてある門から入って花を手折る。

[古文・原文]

さすがに、されたる遣戸口に、黄なる生絹の単袴、長く着なしたる童の、をかしげなる出で来て、うち招く。白き扇のいたうこがしたるを、

『これに置きて参らせよ。枝も情けなげなめる花を』

とて取らせたれば、門開けて惟光朝臣出で来たるして、奉らす。

『鍵を置きまどはしはべりて、いと不便なるわざなりや。もののあやめ見たまへ分くべき人もはべらぬわたりなれど、らうがはしき大路に立ちおはしまして』とかしこまり申す。

引き入れて、下りたまふ。惟光が兄の阿闍梨、婿の三河守、娘など、渡り集ひたるほどに、かくおはしましたる喜びを、またなきことにかしこまる。

尼君も起き上がりて、『惜しげなき身なれど、捨てがたく思う給へつることは、ただ、かく御前にさぶらひ、御覧ぜらるることの変りはべりなむことを口惜しく思ひ給へ、たゆたひしかど、忌むことのしるしによみがへりてなむ、かく渡りおはしますを、見給へはべりぬれば、今なむ阿弥陀仏の御光も、心清く待たれはべるべき』など聞こえて、弱げに泣く。

[現代語訳]

陋屋(ろうおく)とは言うものの、しゃれた遣戸口から、黄色い生絹の単重袴を長く着こなした女童で可愛らしい子が出て来て、招いてくる。白い扇で強く香を薫きしめたものを、

『これに載せて差し上げなさい。枝も風情がない感じの花ですからね』

と言って与えると、門を開けて惟光朝臣が出て来たのでそれに取り次がせて、夕顔の花を差し上げた。

『鍵を置き忘れまして、大変ご迷惑をお掛け致しました。善悪の分別がつかない者たちも多く住んでいる界隈ではありますが、ごみごみとした大路に立ったままにさせてしまって』と惟光はお詫びを申し上げる。

車を引き入れさせて、車からお下りになられる。惟光の兄の阿闍梨や娘婿の三河守、娘などが、寄り集まっている所へ、このように源氏の君がお越しあそばされたことのお礼をと、この上なく恐縮して申し上げる。

尼君も起き上がって、『惜しくもない儚い身の上ですが、俗世を捨てがたく出家しがたく感じておりました。ただこのようにお目にかかって、源氏の君の御覧いただくこの姿が尼僧に変わってしまいますことを残念に思い、出家を迷っておりましたが、受戒の効果があって生き返ることができ、このように君がお越しあそばされたのを、お目にする事ができましたので、今はもう、阿弥陀様のご来迎(死後の来世)を心残りもなく待つことができます』と語って、弱々しく泣いている。

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