『源氏物語』の現代語訳:夕顔17

スポンサーリンク

紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“中将、「さらば、さるよしをこそ奏しはべらめ~”が、このページによって解説されています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

[古文・原文]

中将、「さらば、さるよしをこそ奏しはべらめ。昨夜も、御遊びに、かしこく求めたてまつらせ給ひて、御気色悪しくはべりき」と聞こえ給ひて、立ち返り、「いかなる行き触れにかからせ給ふぞや。述べやらせ給ふことこそ、まことと思う給へられね」と言ふに、胸つぶれ給ひて、

「かく、こまかにはあらで、ただ、おぼえぬ穢らひに触れたるよしを、奏し給へ。いとこそたいだいしくはべれ」

と、つれなくのたまへど、心のうちには、言ふかひなく悲しきことを思すに、御心地も悩ましければ、人に目も見合せ給はず。蔵人弁を召し寄せて、まめやかにかかるよしを奏せさせ給ふ。大殿などにも、かかることありて、え参らぬ御消息など聞こえ給ふ。

[現代語訳]

頭中将は、「それでは、そのような旨を奏上しましょう。昨夜も、管弦の御遊びの時に、畏れ多くも君をお捜し申しあそばされて、御機嫌が悪い感じでございました」と申し上げられて、引き返して、「どのような穢れにお遭いになられたのですか。お話してくださったことが、本当のこととは思えないのです」と言うと、胸が押しつぶされるような感じがして、

「このように、詳しい内容ではなくて、ただ、思いがけない穢れに触れたことを、奏上して下さい。本当に不都合なことでございます」

と、さりげなくおっしゃるが、心の中は、どうしようもないほどの悲しみにあることを考えると、ご気分もよろしくないので、誰とも目をお合わせにならない。蔵人の弁を呼び寄せて、細かにその旨を奏上させなさる。大殿などにも、このような事情があって参上できないというお手紙などを差し上げられていた。

スポンサーリンク
楽天AD

[古文・原文]

日暮れて、惟光(これみつ)参れり。かかる穢れありとのたまひて、参る人びとも、皆立ちながらまかづれば、人しげからず。召し寄せて、

「いかにぞ。今はと見果てつや」とのたまふままに、袖を御顔に押しあてて泣き給ふ。惟光も泣く泣く、

「今は限りにこそはものし給ふめれ。長々と籠もりはべらむも便なきを、明日なむ、日よろしくはべれば、とかくの事、いと尊き老僧の、あひ知りてはべるに、言ひ語らひつけはべりぬる」と聞こゆ。

[現代語訳]

日が暮れて、惟光が参上した。これこれの穢れがあるとおっしゃっていたので、お見舞いの人々も、皆立ったままで退出するので、人目は多くない。呼び寄せて、

「どんな感じであったか。もう亡くなって果ててしまっているように見えたか」とおっしゃるままに、袖をお顔に押し当ててお泣きになられる。惟光も泣きながら、

「もはやご臨終の時のようでいらっしゃいます。長い時間にわたって一緒に籠っておりますのも不都合なので、明日は、お日柄がよろしゅうございますので、あれこれのこと(葬儀のこと)を、とても尊い老僧で、知っております僧に、語って申し付けております」と申し上げる。

楽天AD

[古文・原文]

「添ひたりつる女はいかに」とのたまへば、「それなむ、また、え生くまじくはべるめる。我も後れじと惑ひはべりて、今朝は谷に落ち入りぬとなむ見給へつる。『 かの故里人に告げやらむ』と申せど、『しばし、思ひしづめよ、と。ことのさま思ひめぐらして』となむ、こしらへおきはべりつる」

と、語り聞ゆるままに、いといみじと思して、「我も、いと心地悩ましく、いかなるべきにかとなむおぼゆる」とのたまふ。

「何か、さらに思ほしものせさせ給ふ。さるべきにこそ、よろづのことはべらめ。人にも漏らさじと思ひ給ふれば、惟光おり立ちて、よろづはものしはべる」など申す。

「さかし。さ皆思ひなせど、浮かびたる心のすさびに、人をいたづらになしつるかごと負ひぬべきが、いとからきなり。少将の命婦(みょうぶ)などにも聞かすな。 尼君ましてかやうのことなど、諌めらるるを、心恥づかしくなむおぼゆべき」と、口かため給ふ。

[現代語訳]

「付き添っていた女はどうしたのか」とおっしゃると、「その女も、また、長く生きられそうにはないようでございます。自分も遅れずに死にたいと取り乱しまして、今朝は谷に飛び込みそうになったのを拝見しました。『あの前に住んでいた家の人に知らせよう』と申しますが、『しばらく、落ち着きなさい、と。状況をよく考えてからにしましょう』と、女を宥めておきました」

と、お話して聞かせるにつれて、とても悲しくお思いになられて、「私も、とても気分が悪くて、どうなってしまうのだろうかと思われます」とおっしゃる。

「何を、この上、くよくよとお悩みになられるのですか。そうなる運命に、万事は決まっていたのでしょう。誰にも話を漏らさないようにしようと思いますので、この惟光が自らいって、全ての事をお片づけ致します」などと申し上げる。

「その通りだ。そのように思ってはいるのだが、中途半端な遊び心から、人を死なせてしまった過ちの責任を負わなければならないのが、本当につらいのだ。少将の命婦などにもこの話は聞かせるな。尼君はましてこのようなことを言えば、お叱りになられるから、恥ずかしい気持ちになってしまうだろう」と、口封じをされた。

スポンサーリンク
楽天AD
Copyright(C) 2014- Es Discovery All Rights Reserved