『源氏物語』の現代語訳:夕顔18

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“「さらぬ法師ばらなどにも、皆、言ひなすさま異にはべる」~”が、このページによって解説されています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

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[古文・原文]

「さらぬ法師ばらなどにも、皆、言ひなすさま異にはべる」と聞こゆるにぞ、かかり給へる。

ほの聞く女房など、「あやしく、何ごとならむ、穢らひのよしのたまひて、内裏にも参り給はず、また、かくささめき嘆き給ふ」と、ほのぼのあやしがる。

「さらに事なくしなせ」と、そのほどの作法のたまへど、「何か、ことことしくすべきにもはべらず」とて立つが、いと悲しく思さるれば、「便なしと思ふべけれど、今一度、かの亡骸(なきがら)を見ざらむが、いといぶせかるべきを、馬にてものせむ」とのたまふを、いとたいだいしきこととは思へど、

「さ思されむは、いかがせむ。はや、おはしまして、夜更けぬ先に帰らせおはしませ」と申せば、この頃の御やつれにまうけ給へる、狩の御装束着替へなどして出で給ふ。

[現代語訳]

「その他の山の法師たちにも、みんな、別々に説明をしてございます」と惟光が言うので、源氏の君は安心されていた。

わずかに話を聞いた女房などは、「変ですね、何事なのでしょうか、穢れに触れたことをおっしゃって、宮中にも参内されず、また、このようにひそひそ話して嘆いていらっしゃる」と、ぼんやりした感じで不思議がっている。

「更に葬儀は問題のないように行いなさい」と、源氏は女の葬式の作法についておっしゃるが、惟光は「いや、特別に大げさに葬儀をする必要はございません」と言って立つ。これがとても悲しく思われたので、「意味のないことだと思うだろうが、もう一度、あの亡骸を見ないというままではとても心残りになるから、馬で行って見ておきたい」と源氏はおっしゃる。とても大変なことだとは思ったけれど、

「そのようにお思いになるなら、どう致しましょうか。早く、お出かけになられて、夜が更ける前にお帰りあそばして下さい」と申すと、源氏の君は最近のお忍びのためにお作りになっていた、狩衣のご衣装に着替えをされてお出かけになった。

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[古文・原文]

御心地かきくらし、いみじく堪へがたければ、かくあやしき道に出で立ちても、危かりし物懲りに、いかにせむと思しわづらへど、なほ悲しさのやる方なく、「ただ今の骸を見では、またいつの世にかありし容貌をも見む」と、思し念じて、例の大夫、随身を具して出で給ふ。

道遠くおぼゆ。十七日の月さし出でて、河原のほど、御前駆の火もほのかなるに、鳥辺野(とりべの)の方など見やりたるほどなど、ものむつかしきも、何ともおぼえ給はず、かき乱る心地し給ひて、おはし着きぬ。

辺りさへすごきに、板屋のかたはらに堂建てて行へる尼の住まひ、いとあはれなり。御燈明(ごとうみょう)の影、ほのかに透きて見ゆ。その屋には、女一人泣く声のみして、外の方に、法師ばら二三人物語しつつ、わざとの声立てぬ念仏ぞする。寺々の初夜も、みな行ひ果てて、いとしめやかなり。清水の方ぞ、光多く見え、人のけはひもしげかりける。この尼君の子なる大徳の声尊くて、経うち読みたるに、涙の残りなく思さる。

[現代語訳]

お心はまっ暗闇となり、とても堪えがたいので、このように奇妙な道に出かけようとする場合でも、危ない目に遭って懲りた経験のために、どうしようかとお悩みになられているが、やはり悲しみの持っていき場がなくて、「今この亡骸を見ないままでは、また来世で生前の容姿を見ることなどできるだろうか」と思って念じられて、いつもの惟光大夫と随身を連れてお出かけになられる。

道中は遠く感じられた。十七日の月が昇っていて、河原の辺りでは、御前駆の松明のあかりも仄かなもので、鳥辺野の方角などを見やった時などは、どことなく不気味であるが、何にもお感じにはならず、心が悲しみで乱れる感じがしながら、ご到着になられた。

周囲までぞっとするような荒れた所だが、板屋の隣にお堂を建ててお勤めしている尼の住居は、本当にしみじみとした情趣のある感じである。御燈明の光が、わずかかに隙間から透けて見えている。その家には、女一人の泣く声ばかりがして、外の方に、法師たちが二、三人で話をしていて、わざと声を立てない念仏を唱えている。寺々の初夜も、皆、お勤めが終わって、とても静かな様子である。清水寺の方角は、光が多く見えて、人の気配がたくさんあった。この尼君の子である大徳が尊い感じの声で、お経を読んでいるので、涙が涸れんばかりの思いが込み上げてきた。

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[古文・原文]

入り給へれば、火取り背けて、右近は屏風隔てて臥したり。いかにわびしからむと、見給ふ。恐ろしき気(け)もおぼえず、いとらうたげなるさまして、まだいささか変りたるところなし。手をとらへて、

「我に、今一度、声をだに聞かせ給へ。いかなる昔の契りにかありけむ、しばしのほどに、心を尽くしてあはれに思ほえしを、うち捨てて、惑はし給ふが、いみじきこと」と、声も惜しまず、泣き給ふこと、限りなし。

[現代語訳]

お入りになると、灯火(ともしび)を遺骸から背ける形にして、右近は屏風を隔てて臥せっていた。どんなに侘しい思いをしているのだろうと御覧になる。恐ろしいような気配も感じられず、とてもかわいらしい様子をして、まだ少しも変わった所がない。その遺骸の手を握って、

「私にもう一度、声だけでもお聞かせ下さい。どのような前世の因縁があったのだろうか、少しの間に、心を尽くして愛しいと思っていたのに、自分を残して逝ってしまい、こんなに心を乱すのは、あまりに酷いことだ…」と、声を出すのも惜しまずにお泣きになっていて終わりがない。

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