『源氏物語』の現代語訳:若紫1

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“瘧病にわづらひたまひて、よろづにまじなひ加持など参らせ給へど~”が、このページによって解説されています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

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[古文・原文]

瘧病にわづらひたまひて、よろづにまじなひ加持など参らせ給へど、しるしなくて、あまたたびおこり給ひければ、ある人、

「北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき行ひ人はべる。去年の夏も世におこりて、人びとまじなひわづらひしを、やがてとどむる類(たぐい)、あまたはべりき。ししこらかしつる時はうたてはべるを、とくこそ試みさせ給はめ。」

など聞こゆれば、召しに遣はしたるに、「老いかがまりて、室の外にもまかでず」と申したれば、「いかがはせむ。いと忍びてものせむ」とのたまひて、御供にむつましき四、五人ばかりして、まだ暁におはす。

[現代語訳]

瘧(おこり)の病気にお罹りになって、色々なまじない・加持などを試して差し上げたけれど、その効果はなくて、何度も病がお起こりになったので、ある人が、

「北山に、某寺という所があり、そこに優れた行者がいらっしゃいます。去年の夏も、世間に病が流行して、人々がまじないではどうしようもなかったのに、すぐに治してしまった例が、多くございました。瘧病をこじらせてしまうと面倒でございますから、早くお試しになられてみて下さい。」

などと申し上げるので、その行者をお呼び寄せになろうとされたのだが、「老いて腰が曲がって、部屋の外にも出ることができません。」と申してきたので、「どうしようか。ごく内密にして忍んで行こう」とおっしゃって、お供に親しい者四、五人ほど連れて、まだ夜明け前に出発された。

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[古文・原文]

やや深う入る所なりけり。三月のつごもりなれば、京の花盛りはみな過ぎにけり。山の桜はまだ盛りにて、入りもておはするままに、霞のたたずまひもをかしう見ゆれば、かかるありさまもならひ給はず、所狭き御身にて、めづらしう思されけり。

寺のさまもいとあはれなり。峰高く、深き巖屋(いわや)の中にぞ、聖入りゐたりける。登り給ひて、誰とも知らせ給はず、いといたうやつれ給へれど、しるき御さまなれば、

「あな、かしこや。一日、召しはべりしにやおはしますらむ。今は、この世のことを思ひ給へねば、験方の行ひも捨て忘れてはべるを、いかで、かうおはしましつらむ」

と、おどろき騒ぎ、うち笑みつつ見たてまつる。いと尊き大徳なりけり。さるべきもの作りて、すかせたてまつり、加持など参るほど、日高くさし上がりぬ。

[現代語訳]

やや山を深く入った所にあった。三月の終わりの日なので、京の花盛りはみな過ぎてしまっていた。山の桜はまだ盛りであり、山奥に入っていらっしゃるにつれて、霞のかかった景色も情趣があるように見えるので、このような山歩きする経験もなく、(自由に振る舞えない)窮屈なご身分なので、珍しく思われていた。

寺の様子もとても趣深いものである。峰は高く、深い岩屋の中に、聖(ひじり)は入っておられた。お登りになられて、誰ともお知らせなさらず、とてもひどく粗末な身なりをされているが、はっきりと身分のある方と分かる外貌(雰囲気)なので、

「あぁ、畏れ多いことです。先日、私めをお召しになられた方でございましょうか。今は、現世(俗世)のことを考えていないので、修験の方法も忘れてしまっているのに、どうして、このようにこんな所までいらっしゃったのでしょうか。」

と、驚いて慌てて、にっこり微笑しながら拝見する。本当に尊い大徳の行者なのだった。しかるべき薬を作って、お飲ませになり、加持などをして差し上げているうちに、日が高くなってきた。

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[古文・原文]

少し立ち出でつつ見渡し給へば、高き所にて、ここかしこ、僧坊どもあらはに見おろさるる、ただこのつづら折の下に、同じ小柴なれど、うるはしくし渡して、清げなる屋、廊など続けて、木立いとよしあるは、

「何人の住むにか」と問ひ給へば、御供なる人、「これなむ、なにがし僧都の、二年籠もりはべる方にはべるなる」

「心恥づかしき人住むなる所にこそあなれ。あやしうも、あまりやつしけるかな。聞きもこそすれ」などのたまふ。

清げなる童(わらわ)などあまた出で来て、閼伽(あか)たてまつり、花折りなどするもあらはに見ゆ。

[現代語訳]

少し外に出て見渡してみると、高い所なので、あちらこちらに、僧坊どもをはっきり見下ろすことができる、ちょうどこのつづら折の下に、同じような小柴垣であるが、きちんと垣をめぐらして、綺麗にしてある建物に、廊下などを続けてつけて、木立がとても趣きのある様子である。

「どんなが住んでおられるのか。」とお聞きになると、お供している人が、「これが、(有名な)某僧都が、二年間も籠もっておられる所でございます。」

「こちらが気遅れするほど立派な人が住んでいる所なのだな。怪しくも、あまりに(今の私は)粗末な身なりをしていることよ。聞きつけられたらどうしたものか。」などとおっしゃる。

小綺麗にした童女などが、大勢出て来て、閼伽棚に水をお供えしたり、花を折ったりなどしているのも、はっきりと見える。

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