『源氏物語』の現代語訳:若紫9

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“「今年ばかりの誓ひ深う侍りて、御送りにもえ参り侍るまじきこと。~”が、このページによって解説されています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

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[古文・原文]

「今年ばかりの誓ひ深う侍りて、御送りにもえ参り侍るまじきこと。なかなかにも思ひ給へらるべきかな」など聞こえ給ひて、大御酒参り給ふ。

「山水に心とまり侍りぬれど、内裏よりもおぼつかながらせ給へるも、かしこければなむ。今、この花の折過ぐさず参り来む。

宮人に 行きて語らむ 山桜 風よりさきに 来ても見るべく」とのたまふ御もてなし、声づかひさへ、目もあやなるに、

「優曇華(うどんげ)の 花待ち得たる 心地して 深山桜に 目こそ移らね」

と聞こえ給へば、ほほゑみて、「時ありて、一度開くなるは、かたかなるものを」とのたまふ。

[現代語訳]

「今年いっぱいの山籠りの誓いが固いものでございまして、お見送りに参上できないということ。かえって残念なことに感じられてなりません。」などと申し上げられて、僧都は源氏の君にお酒を差し上げられる。

「山・谷川に心が惹かれましたが、帝にご心配をさせてしまうということも、畏れ多いことですから。また、この花の時期を過ぎないようにして、こちらへ参りましょう。

都の宮人に帰って話を聞かせましょう。この山桜の美しさを、風が吹き散らすよりも前に来て見るように」とおっしゃるご様子、声づかいさえ、眩しいほどに立派なので、

「三千年に一度咲くと伝えられる優曇華(うどんげ)の花が咲く時に巡り逢ったような気がして、深山桜には目も移りません。」

と申し上げると、源氏の君は微笑んで、「その時節だけに、一度咲くという花は、見るのが難しいものですから(いつでも見られる私とは違いますよ)。」とおっしゃる。

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[古文・原文]

聖(ひじり)、御土器(おんかはらけ)賜はりて、

「奥山の 松のとぼそを まれに開けて まだ見ぬ花の 顔を見るかな」

と、うち泣きて見たてまつる。聖、御まもりに、独鈷(どっこ)たてまつる。見給ひて、僧都、聖徳太子の百済より得給へりける金剛子の数珠の、玉の装束したる、やがてその国より入れたる筥(はこ)の、唐めいたるを、透きたる袋に入れて、五葉の枝に付けて、紺瑠璃(こんるり)の壺どもに、御薬ども入れて、藤、桜などに付けて、所につけたる御贈物ども、ささげたてまつり給ふ。

君、聖よりはじめ、読経しつる法師の布施ども、まうけの物ども、さまざまに取りにつかはしたりければ、そのわたりの山がつまで、さるべき物ども賜ひ、御誦経(ごずきょう)などして出で給ふ。

[現代語訳]

聖(ひじり)は、酒杯を頂戴して、

「奥山の松の扉を珍しく開けてみましたところ、まだ見たこともない花のような美しいお顔を拝見することができました。」

と、泣きながら源氏の君の顔を御覧になられる。聖は、お守りにと、独鈷(どっこ)を差し上げる。それを御覧になって、僧都は、聖徳太子が百済から持ち帰った金剛子の数珠で、玉の飾りが付いているものを、そのままその国から入れてあった箱で、唐風のものを、透かし編みの袋に入れて、五葉の松の枝に付けて、紺瑠璃(こんるり)の壺々に、お薬類なども入れて、藤や桜などに付けて、場所柄に相応しい贈り物の類に仕立てて、捧げて差し上げなされた。

源氏の君は、聖をはじめとして、読経した法師へのお布施など、用意した品々を、色々と京に取りにやっていたので、その近辺の木こりにまで、相応の品物をお与えになられ、御誦経の布施をして出発された。

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[古文・原文]

内に僧都入り給ひて、かの聞こえ給ひしこと、まねび聞こえ給へど、

「ともかくも、ただ今は、聞こえむかたなし。もし、御志あらば、いま四、五年を過ぐしてこそは、ともかくも」とのたまへば、「さなむ」と同じさまにのみあるを、本意なしと思す。

御消息(おんしょうそく)、僧都のもとなる小さき童して、

「夕まぐれ ほのかに花の 色を見て 今朝は霞の 立ちぞわづらふ」

御返し、「まことにや 花のあたりは 立ち憂きと 霞むる空の 気色をも見む」

と、よしある手の、いとあてなるを、うち捨て書い給へり。

[現代語訳]

室内に僧都はお入りになって、あの君が申し上げなされたことを、真似るようにしてそのまま申し上げなされるが、

「どうにもこうにも、今すぐには、お返事を差し上げようがありません。もし、君にお気持ちがあるならば、もう四~五年が経ってからのお話でして、ともかくも」と尼君がおっしゃると、「しかじか。」と同じような返事ばかりあるので、気持ちが伝わらずに残念とお思いになる。

お手紙は、僧都のもとに仕えている小さい童に持たせて、

「夕暮れ時に、わずかに美しい花の色を見て、今朝は霞が立ち込めた空を見て、そこを去り難く思っています。」

お返事、「本当に、花の辺りを立ち去りがたいのでしょうか、霞んでいる空の下でそう思われている気持ちを見たいものです。」

と、教養のある手紙の筆跡で、とても上品な文字を、無造作にお書きになっておられる。

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