『源氏物語』の現代語訳:若紫11

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“君は、まづ内裏に参り給ひて、日ごろの御物語など聞こえ給ふ。「いといたう衰へにけり」とて~”が、このページによって解説されています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

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[古文・原文]

君は、まづ内裏に参り給ひて、日ごろの御物語など聞こえ給ふ。「いといたう衰へにけり」とて、ゆゆしと思し召したり。聖の尊かりけることなど、問はせ給ふ。詳しく奏し給へば、

「阿闍梨(あじゃり)などにもなるべき者にこそあなれ。行ひの労は積もりて、朝廷にしろしめされざりけること」と、尊がりのたまはせけり。

大殿、参りあひ給ひて、「御迎へにもと思ひ給へつれど、忍びたる御歩きに、いかがと思ひ憚りてなむ。のどやかに一、二日うち休み給へ」とて、「やがて、御送り仕うまつらむ」と申し給へば、さしも思さねど、引かされてまかで給ふ。

我が御車に乗せたてまつり給うて、自らは引き入りてたてまつれり。もてかしづき聞こえ給へる御心ばへのあはれなるをぞ、さすがに心苦しく思しける。

[現代語訳]

源氏の君は、まず内裏に参内なされて、ここ数日のお話などを申し上げなさる。「とてもひどくお弱りになられたものよ」と帝はおっしゃって、心配なことだとお思いになられる。聖人の霊験は確かなものだったのかどうかなどを、お尋ねになられる。詳しく奏上なされると、

「阿闍梨などになってもおかしくない人だったのだな。修行の功績を積んでいるのに、朝廷からは知られることがなかったのだろう。」と、尊重なさりながらおっしゃられるのであった。

大殿(左大臣)が御所に参上なされて、「お迎えに参ろうとも思っておりましたが、お忍びでの外出なので、どんなものかと遠慮しておりました。のんびりと、一~二日はお休みなさい。」と言って、「このまま、お供を致しましょう。」と申し上げられるので、そうしたいとはお思いにならなかったが、引かれて退出をなさる。

左大臣はご自分のお車にお乗せ申し上げられて、自分は遠慮しながらお乗りになられる。大切に接遇してくださるそのお気持ちの有り難いことを思うと、やはり胸が痛くなるような思いがされるのだった。

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[古文・原文]

殿にも、おはしますらむと心づかひし給ひて、久しく見給はぬほど、いとど玉の台に磨きしつらひ、よろづをととのへ給へり。

女君、例の、はひ隠れて、とみにも出で給はぬを、大臣、切に聞こえ給ひて、からうして渡り給へり。ただ絵に描きたるものの姫君のやうに、し据ゑられて、うちみじろき給ふこともかたく、うるはしうてものし給へば、思ふこともうちかすめ、山道の物語をも聞こえむ、言ふかひありて、をかしう答へ(いらえ)給はばこそ、あはれならめ、世には心も解けず、うとく恥づかしきものに思して、年のかさなるに添へて、御心の隔てもまさるを、いと苦しく、思はずに、

「時々は、世の常なる御気色(おけしき)を見ばや。堪へがたうわづらひ侍りしをも、いかがとだに、問ひ給はぬこそ、めづらしからぬことなれど、なほうらめしう」と聞こえ給ふ。からうして、「問はぬは、つらきものにやあらむ」と、後目に見おこせ給へるまみ、いと恥づかしげに、気高ううつくしげなる御容貌(おんかたち)なり。

[現代語訳]

大殿(左大臣)のお屋敷でも、源氏の君がいらっしゃるだろうとご用意をされていて、久しくお見えにならなかった間に、ますます玉の台のように磨き上げて飾って、すべてをしっかり準備されていた。

女君は、いつものように、物陰に隠れて、すぐには出ていらっしゃらないので、父の大臣が、強く催促をされて、やっとのことで出ていらっしゃった。ちょうど絵に描いた姫君のように、座らされて、ちょっとでも身体をお動かしになることも難しく、きちんとして座っていらっしゃるので、思っていることを話したり、山道の話をお聞かせしたりするのも、話をする甲斐があって、楽しくお返事をして下さるものなら、情愛も深まるだろうが、まったく打ち解けず、源氏の君をよそよそしく遠慮してしまう相手のようにお思いになられて、年月を重ねるにつれて、お気持ちの隔たりが強まるのが、とても苦しく、想定外のことだったので、

「時々は、世の中の普通の妻らしいご様子を見たいものだ。私がひどく病気で苦しんでいた時にも、せめてどうですかとだけでも、お尋ねして下さらないのは、珍しいことではありませんが、やはり恨めしいことです。」と申し上げる。やっとのことで、「尋ねないというのは、つらく感じられることなのでしょうか。」と、流し目で御覧になっている目もとは、とても気後れしている感じで、気高くて美しそうなご容貌である。

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[古文・原文]

「まれまれは、あさましの御ことや。訪はぬ、など言ふ際は、異にこそ侍るなれ。心憂くもの給ひなすかな。世とともにはしたなき御もてなしを、もし、思し直る折もやと、とざまかうさまに試みきこゆるほど、いとど思ほし疎むなめりかし。よしや、命だに」とて、夜の御座に入り給ひぬ。女君、ふとも入り給はず、聞こえわづらひ給ひて、うち嘆きて臥し給へるも、なま心づきなきにやあらむ、ねぶたげにもてなして、とかう世を思し乱るること多かり。

この若草の生ひ出でむほどのなほゆかしきを、「似げないほどと思へりしも、道理ぞかし。言ひ寄りがたきことにもあるかな。いかに構へて、ただ心やすく迎へ取りて、明け暮れの慰めに見む。兵部卿宮(ひょうぶのきょうのみや)は、いとあてになまめい給へれど、匂ひやかになどもあらぬを、いかで、かの一族におぼえ給ふらむ。ひとつ后腹なればにや」など思す。ゆかりいとむつましきに、いかでかと、深うおぼゆ。

[現代語訳]

「たまにおっしゃるかと思えば、情けないお言葉ですね。尋ねない(訪ねない)などという間柄は、(夫婦ではない)他人が使う言葉でしょう。心が塞ぎ込むようなことをおっしゃるんですね。いつまでも変わらない情けないお振る舞いを、もしや、思い直しになる時もあろうかと、あれこれとお試し申して上げているうちに、ますます私のことを疎んじられるようですね。もう良いです、長生きさえしたらわかってもらえるのでしょう。」といって、夜の寝所にお入りになられる。女君は、すぐには寝所にお入りにならず、お誘い申しあげるのも難しくて、溜息をつきながら横になっているのも、何となく納得できない(面白くない)のだろうか、眠そうなふりをしながら、あれこれと二人の仲を思い悩まれることが多かった。

この若草の君が成長していく間をやはり見ていたいので、「相応しくない年頃と思っているのも、道理ではある。言い寄り難いものだなあ。何とか準備をして、ただ気楽に迎えにいって、毎日の慰めとして見ていたい。父の兵部卿宮は、とても高貴で優美でいらっしゃるのだが、匂い立つような美しさはないのに、どうして、あの一族(叔母)に似ていらっしゃるのだろう。姫宮も藤壷宮も同じお后様の腹だからなのだろうか。」などとお思いになる。縁故がとても近しく感じられるので、何とかしてと、深くお思いになられる。

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