『竹取物語』の原文・現代語訳18

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『竹取物語』は平安時代(9~10世紀頃)に成立したと推定されている日本最古の物語文学であり、子ども向けの童話である『かぐや姫』の原型となっている古典でもあります。『竹取物語』は、『竹取翁の物語』『かぐや姫の物語』と呼ばれることもあります。竹から生まれた月の世界の美しいお姫様である“かぐや姫”が人間の世界へとやって来て、次々と魅力的な青年からの求婚を退けるものの、遂には帝(みかど)の目にも留まるという想像力を駆使したファンタジックな作品になっています。

『竹取物語』は作者不詳であり成立年代も不明です。しかし、10世紀の『大和物語』『うつほ物語』『源氏物語』、11世紀の『栄花物語』『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られることから、10世紀頃までには既に物語が作られていたと考えられます。このウェブページでは、『かやうにて、御心を互ひに慰め給ふほどに、三年ばかりありて、~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。

参考文献
『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),室伏信助『新装・竹取物語』(角川ソフィア文庫),阪倉篤義 『竹取物語』(岩波文庫)

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[古文・原文]

かやうにて、御心を互ひに慰め給ふほどに、三年(みとせ)ばかりありて、春の初めより、かぐや姫、月の面白う出でたるを見て、常よりももの思ひたるさまなり。

ある人の、『月の顔見るは、忌むこと』と制しけれども、ともすれば、人間にも月を見ては、いみじく泣き給ふ。七月(ふみづき)十五日(もち)の月に出で居て、切にもの思へる気色なり。

近く使はるる人々、竹取の翁に告げて言はく、『かぐや姫、例も月をあはれがり給へども、この頃となりては、ただ事にも侍らざめり。いみじくおぼし嘆くことあるべし。よくよく見奉らせ給へ』と言ふを聞きて、かぐや姫に言ふやう、『なんでふ心地すれば、かく、ものを思ひたるさまにて、月を見給ふぞ。うましき世に』と言ふ。

かぐや姫、『見れば、世間心細くあはれに侍る。なでふものをか嘆き侍るべき』と言ふ。かぐや姫の在る処(ところ)に至りて見れば、なほもの思へる気色なり。これを見て、『あが仏、何事思ひ給ふぞ。おぼすらむこと何事ぞ』と言へば、『思ふこともなし。ものなむ心細くおぼゆる』と言へば、翁、『月な見給ひそ。これを見給へば、ものおぼす気色はあるぞ』と言へば、『いかで月を見ではあらむ』とて、なほ、月出づれば、出で居つつ、嘆き思へり。

夕闇には、ものを思はぬ気色なり。月のほどになりぬれば、なほ、時々はうち嘆き泣きなどす。これを、仕ふ者ども、『なほものおぼすことあるべし』とささやけど、親を始めて、何とも知らず。

[現代語訳]

このようにして、帝とかぐや姫はお互いに気持ちを重ねて慰め合っていたが、三年ほどの月日が流れた。その年の春の初めから、かぐや姫は美しい月が出ているのを眺めては、いつもよりも物思いに沈むようになった。

ある人が、『月の顔を見るのは、不吉である。』と言って制止しようとしたが、それでも、人目を盗んで月を見ては、激しく泣いている。七月の十五夜のこと、かぐや姫は縁側に腰を掛けて、月を眺めながら、切ない面持ちで深い物思いに沈んでいた。

姫の側近くで仕えている侍女たちは、竹取の翁(おじいさん)に、『かぐや姫様はいつも月をご覧になって悲しい顔をしていますが、最近はただ事ではないような落ち込みようです。酷く嘆き悲しまなければならない事がおありなのでしょう。翁様が注意深く様子を見てやって下さいませ。』と告げて申し上げた。それを聞いた翁は、かぐや姫に、『どのようなお気持ちで、そのような物思いに沈んでいる様子で、月を眺めているのですか。(帝の寵愛を受ける姫にとっては)良い事のほうが多いこの世であるはずなのに。』と言った。

かぐや姫は、『月を眺めていると、この世の中での営みが儚いものであるという風にしみじみと感じられて仕方がないのです。特別に、悩んで嘆き悲しんでいることがあるわけではないのです。』と言った。しかし、翁がかぐや姫のいる部屋に行ってみると、まだ深く物思いに沈んでいる様子である。これを見た翁が、『私の仏とも言える大切な娘よ、何を思い悩んでいるのか。(その悲しい顔で)深く思っていることは一体何なのだ。』と聞くと、『悩み事などは本当にないのです。ただ物悲しい思いがこみ上げてくるのです。』と姫は答えた。

翁が、『月を見るのはもうやめなさい。月を眺めるのが原因で、姫は物思いに沈んでいるように見えますから。』と言うと、『でも、月を眺めずにはいられないのです。』と言い、やはりかぐや姫は月が出ると、外に出て縁側に座り、月を眺めては嘆き悲しんでいるのであった。

月が出ていない夕闇の時刻には、物思いには沈んでいないようである。しかし月が出る時間になってくると、やはり時に嘆き悲しんだり涙を流したりしているのである。姫に仕えている人々は、『やはり何か深いお悩みがあるのだろう。』と囁き合っていたが、親である翁・嫗をはじめとして、その原因は分からないままだった。

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[古文・原文]

八月十五日(はづき・もち)ばかりの月に出で居て、かぐや姫いといたく泣き給ふ。人目も、今は、つつみ給はず泣き給ふ。これを見て、親どもも、『何事ぞ』と問ひ騒ぐ。

かぐや姫泣く泣く言ふ、『さきざきも申さむと思ひしかども、必ず心惑はし給はむものぞと思ひて、今まで過ごし侍りつるなり。さのみやはとて、うち出で侍りぬるぞ。おのが身は、この国の人にもあらず、月の都の人なり。それをなむ、昔の契りありけるによりなむ、この世界にはまうで来たりける。今は帰るべきになりにければ、この月の十五日(もち)に、かの本の国より、迎へに人々まうで来むず。さらずまかりぬべければ、おぼし嘆かむが悲しきことを、この春より、思ひ嘆き侍るなり』と言ひて、いみじく泣くを、翁、『こは、なでふことをのたまふぞ。竹の中より見つけ聞こえたりしかど、菜種の大きさおはせしを、我が丈立ち並ぶまで養ひ奉りたる我が子を、何人か迎へ聞こえむ。まさに許さむや』と言ひて、『我こそ死なめ』とて、泣きののしること、いと堪へ難げなり。

かぐや姫の言はく、『月の都の人にて父母あり。片時の間とて、かの国よりまうで来しかども、かく、この国には、あまたの年を経ぬるになむありける。かの国の父母のこともおぼえず、ここにはかく久しく遊び聞こえて、ならひ奉れり。いみじからむ心地もせず、悲しくのみある。されどおのが心ならず、まかりなむとする』と言ひて、もろともにいみじう泣く。使はるる人も、年頃ならひて、たち別れなむことを、心ばへなどあてやかにうつくしかりつることを見馴らひて、恋しからむことの堪へ難く、湯水飲まれず、同じ心に嘆かしがりけり。

[現代語訳]

八月十五日頃の月夜に、縁側に出て座って月見をしていたかぐや姫が、激しく悲しい様子で泣いておられた。今はもう、人目をはばかることもなく泣いているのだ。これを見て、おじいさんとおばあさんは、『どうしたのだ。』と驚きながら聞いた。

かぐや姫は泣きながら言う。『前々から申しあげようと思っていたのですが、きっと動揺させてしまうと思って、今まで話すことができずに時間が過ぎてしまいました。しかし隠し通すこともできないと思って、今打ち明けようと思います。私はこの人間世界の国の者ではなく、月の都の者なのです。しかし、昔の約束があったので、この人間の世界へとやって参ったのです。今はもう帰らなければならない時期になったので、この八月の十五日に、月の世界の国から迎えの人々がやって参ります。どうしようもなくて帰らなければならないので、あなた達が思い嘆くことを思うと悲しくて、この春からずっと思い悩んできたのです。』と言ってひどく泣いている。

おじいさんは、『これは何ということをおっしゃるのですか。私が竹の中から姫を見つけましたが、菜種ほどの大きさだった貴女を、私の背丈と同じくらいになるまで育て上げたのです。その我が子を誰が迎えに来るというのですか。そんなこと(勝手に月へと連れ帰ること)は私が許しません。』と言って、『私のほうこそ、(姫がいなくなるのであれば)死んでしまいたい。』と言って泣いて罵っている。その様子は、痛ましくてとても耐え難いものである。

かぐや姫は、『私は月の都の人間でありそこには父母がいます。初めは短い期間ということで月の国からやって来ましたが、このように実際には長い年月をこの人間界で過ごしてしまいました。月の国の父母のことも覚えておらず、この人間界では長い間にわたって楽しく過ごさせて貰い、あなた達とは親子として慣れ親しんできました。月の国に帰るのは嬉しいのではなく、ただ別れが悲しいという気持ちがあるばかりです。しかし、私の本当の気持ちとは逆に、私はどうしても帰らなければならないのです。』と言って、おじいさんとおばあさんと一緒に激しく泣いた。使用人たちも長年慣れ親しんできて、姫の優しくて美しいお気持ちに好意を抱いており、別れることを思うと耐え難いほどに悲しく恋しい気持ちになる。湯水も飲めないほどで、おじいさんとおばあさんと同じような気持ちで別れを嘆いている。

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