『枕草子』の現代語訳:140

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『成信の中将は、入道兵部卿の宮の御子にて、容貌いとをかしげに~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

277段

成信の中将(なりのぶのちゅうじょう)は、入道兵部卿(にゅうどうひょうぶきょう)の宮の御子にて、容貌(かたち)いとをかしげに、心ばへもをかしうおはす。伊予守兼輔(いよのかみかねすけ)が女(むすめ)忘れて、親の伊予へ率て(ゐて)下りしほど、いかにあはれなりけむとこそ、おぼえしか。暁に行くとて、今宵おはして、有明の月に帰り給ひけむ直衣姿などよ。

その君、常に居て、もの言ひ、人の上など、わるきはわるしなどのたまひしに、物忌(ものいみ)くすしう、つのかめなどにたててくふ物まつかいかけなどするものの、名を姓にて持たる人のあるが、異人(ことひと)の子になりて、平(たひら)などいへど、ただそのもとの姓を、若き人々、言種(ことくさ)にて笑ふ。ありさまも異なることもなし、をかしき方なども遠きが、さすがに人にさしまじり、心などのあるを、御前わたりも、「見苦し」など仰せらるれど、腹ぎたなきにや、告ぐる人もなし。

一条の院に造らせたまひたる一間の所には、にくき人は更に寄せず、東の御門(みかど)につと向ひて、いとをかしき小廂(こひさし)に、式部のおもとと諸共に、夜も昼もあれば、上も、常にもの御覧じに入らせ給ふ。

「今宵は、内に寝なむ」とて、南の廂に二人臥しぬる後に、いみじう呼ぶ人のあるを、「うるさし」など言ひ合はせて、寝たるやうにてあれば、なほいみじうかしかましう呼ぶを、(宮)「それ、起こせ。虚寝(そらね)ならむ」と、仰せられければ、この兵部来て起こせど、いみじう寝入りたるさまなれば、(兵部)「更に起きたまはざめり」と言ひに行きたるに、やがて居つきて、物言ふなり。

しばしかと思ふに、夜いたう更けぬ。(清少納言)「権中将(ごんのちゅうじょう)にこそあなれ。こは、何事を、かく居ては言ふぞ」とて、密にただいみじう笑ふも、いかでかは知らむ。暁まで言ひ明して、帰りぬ。(清少納言)「この君、いとゆゆしかりけり。更に、寄りおはせむに、物言はじ。何事を、さは言ひ明すぞ」など言ひ笑ふに、遣戸(やりど)あけて、女は入り来ぬ。

翌朝(つとめて)、例の廂に人の物言ふを聞けば、「雨いみじう降るをりに来たる人なむ、あはれなる。日ごろおぼつかなく、つらき事もありとも、さて濡れて来たらむは、憂き事も皆忘れぬべし」とは、などて言ふにかあらむ。さあらむを、昨夜も、昨日の夜も、そがあなたの夜も、すべてこのころ、うちしきり見ゆる人の、今宵いみじからむ雨にさはらで来たらむは、なほ一夜も隔てじと思ふなめりと、あはれなりなむ。さらで、日ごろも見えず、おぼつかなくて過ぐさむ人の、かかる折にしも来むは、更に心ざしのあるにはせじ、とこそおぼゆれ。

人の心々なるものなればにや、物見知り、思ひ知りたる女の、心ありと見ゆるなどをかたらひて、あまた行く所もあり、もとよりのよすがなどもあれば、しげくも見えぬを、「なほさるいみじかりし折に来たりし」など、人にも語り継がせ、ほめられむと思ふ人のしわざにや。それも、無下に心ざしなからむには、げに、何しにかは、作りごとにても、見えむとも思はむ。

されど、雨の降る時は、ただむつかしう、今朝まで晴々しかりつる空ともおぼえず、にくくて、いみじき細殿(ほそどの)、めでたき所ともおぼえず。まいて、いとさらぬ家などは、疾く降りやみねかしとこそ、おぼゆれ。

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[現代語訳]

277段

成信の中将(なりのぶのちゅうじょう)は、入道兵部卿(にゅうどうひょうぶきょう)の宮の御子で、容貌がとても美しく、心情も風流を理解しておられる。 伊予守兼輔(いよのかみかねすけ)の娘のことを軽んじて、親が伊予国へと連れて下った時には、どんなにあわれなことだったろうかと思われた。明け方に行くということで、その前の晩にいらっしゃって、有明の月の中を帰っていかれた直衣姿などが偲ばれる。

その成信の君は、いつも中宮様の御所に見えられて、会話をされ、女房のことなどについて、悪いものは悪いとおっしゃったものだが、物忌(ものいみ)をうるさくする人で、物忌に使う何とかいった物の名前を姓に持っている女房がいて、その人が他の人の養子になって、平(たひら)などという姓になったけれど、ただその前の姓のほうを、若い女房たちは言い種にして笑った。容姿も特別なことはなく、気の利いた物言いからも遠いが、さすがに人の仲間入りをしていて、一人前といった気持ちでいるのも、中宮様も、「見苦しい」などとおっしゃられるけれど、意地が悪いのだろうか、本人に告げてあげる人もいない。

一条の院の中に造らせになられた一間の所には、嫌いな人は絶対に寄せつけずに、東の御門の差し向かいにある、とてもおしゃれな小廂(こひさし)に、式部のおもとと一緒に、私(清少納言)が夜も昼もいるので、帝もいつもご見物のために入ってこられる。

「今宵は、中で寝ましょう」と言って、南の廂に(式部のおもとと)二人で寝た後に、たいそう私たちを呼ぶ人がいるのを、「うるさい」などと言い合わせて、寝たふりをしていると、更にうるさい声で呼んでくる。中宮様が「それ、起こせ。寝たふりをしているのでしょう。」とおっしゃったので、この兵部が来て起こすけれど、とても寝入っている様子なので、(兵部)「まったく起きそうにありません」と言いに行ったところ、そのままそこに居つきて、会話をしているようである。

短い会話かと思っていると、夜がとても更けてしまった。(清少納言)「権中将(ごんのちゅうじょう)がいらっしゃるのでしょう。これはいったい何をそんなに座り込んで話しているのでしょうか」と言って、密かにとても笑っているのも、どうしてあちらは知っているだろうか。明け方までしゃべり明かして、帰っていった。(清少納言)「この中将の君は、ほんとにゆゆしき問題のある人物ですね。更に、名指しでいらっしゃっても、お話はしないでおこう。何を、そんなに兵部と語り明かしていたのか」などと言って笑っていると、遣戸(やりど)あけて、女が入ってきた。

翌朝、例の廂で女房が話しているのを聞くと、「雨がひどく降る晩に、来てくれた男には感動してしまうものだわ。何日も来なくて心もとなく、つらいと思うことがあっても、そんな風に雨に濡れて来たら、憂鬱な事も皆忘れてしまうでしょう」と言っているが、どうしてこのようなことを言うのだろうか。そのような雨の夜の男の訪問というものを、昨夜も、昨日の夜も、またその前の夜もというように、この頃ずっと訪れている男が、今宵も激しい雨を物ともせずにやって来たら、絶対に一夜も離れたくないと思っているのだろうと、女の立場を思うとしみじみとした気持ちになる。そうではなくて、最近は姿を見せず、音沙汰なしで過ごしているような男が、そんな雨の夜に限ってやって来ても、絶対に愛情があるという風には思えないだろう。

人それぞれの心によるからなのだろうか、物を知っていて、配慮もあるような女で、風流を理解する心があるような女と親密になって、他にもたくさん通う女の所があり、元から長年付き合っている妻もいるので、頻繁には通って来られないのを、「それでも、あんなひどい雨の時にやって来てくれたことだ」などと、人にも語り継がせて、褒められようと思う男のしわざなのだろうか。それも、まったく気持ちがない場合には、確かにと思うが、どうして作りごとにしても、女の所に顔を見せようなどと思うだろうか。

しかし、雨が降る時は、ただ気分がいらいらとして、今朝まで綺麗に晴れていた空とも思われず、憎たらしくて、趣きのある細殿(ほそどの)、素晴らしい所であるとも思えなくなる。まして、まったくそんなに立派ではない粗末な家などでは、早く雨が降るのがやんでくれればいいのにと、思われるのである。

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[古文・原文]

277段(終わり)

をかしきこと、あはれなることもなきものを、さて月の明きはしも、過ぎにし方、行末(ゆくすえ)まで思ひ残さるることなく、心もあくがれ、めでたくあはれなること、たぐひなくおぼゆ。それに来たらむ人は、十日、二十日、一月、もしは一年(ひととせ)も、まいて、七、八年ありて思ひ出でたらむは、いみじうをかしとおぼえて、えあるまじうわりなき所、人目つつむべきやうありとも、かならず立ちながらももの言ひて帰し、また、とまるべからむは、留めなどもしつべし。

月の明き見るばかり、ものの遠く思ひやられて、過ぎにしことの、憂かりしも、嬉しかりしも、をかしとおぼえしも、ただ今のやうにおぼゆる折やはある。こま野の物語は、何ばかりをかしき事もなく、言葉も古めき、見所多からぬも、月に昔を思ひ出でて、虫ばみたる蝙蝠(こうもり)取り出でて、「もと見し駒に」と言ひ訪ねたるが、あはれなるなり。

雨は、心もなきものと、思ひしみたればにや、片時(かたとき)降るもいとにくくぞある。やむごとなき事、おもしろかるべき事、尊うめでたかるべき事も、雨だに降れば、言ふかひなく口惜しきに、何か、その濡れてかこち来たらむが、めでたからむ。

交野の少将(かたののしょうしょう)もどきたる落窪の少将(おちくぼのしょうしょう)などは、をかし。昨夜、一昨日の夜もありしかばこそ、それもをかしけれ。足洗ひたるぞ、にくき。きたなかりけむ。

風などの吹き、荒々しき夜、来たるは、頼もしくて、うれしうもありなむ。

雪こそ、めでたけれ。「忘れめや」など、ひとりごちて、忍びたることは更なり、いとさあらぬ所も、直衣などは更にも言はず、袍(うへのきぬ)、蔵人の青色などのいとひややかに濡れたらむは、いみじうをかしかるべし。緑衫(ろうそう)なりとも、雪にだに濡れなば、にくかるまじ。昔の蔵人は、夜など人の許にも、ただ青色を着て、雨に濡れても、しぼりなどしけるとか。今は、昼だに着ざめり。ただ緑衫のみ、うちかづきてこそあめれ。衛府(ゑふ)などの着たるは、まいていみじうをかしかりしものを。かく聞きて、雨にありかぬ人やあらむとすらむ。

月のいみじう明き夜、紙のまたいみじう赤きに、ただ「あらずとも」と書きたるを、廂にさし入りたる月にあてて人の見しこそ、をかしかりしか。雨降らむ折は、さはありなむや。

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[現代語訳]

277段(終わり)

面白いこと、しみじみとしたこともないものだけれど、そんな状態でも月が明るいと、過ぎ去ったこと、未来のことまで思い残すところなく浮かんできて、心も憧れて、素晴らしくて情趣がある雰囲気は、並ぶものがないもののように思われる。そんな月の晩に来た男は、十日、二十日、一月、もしくは一年でも、あるいはもっと七~八年経ってから思い出して訪ねてきたような時には、とてもしみじみとしたことのように思われて、相手することができないような具合(都合)の悪い所でも、あるいは人目を避けなければならない事情があっても、必ず立ち話くらいはして帰し、また、止まることのできる所なら、そこに留まらせたりもするだろう。

月の明るいのを見るくらい、遠く遥かなことが思いやられて、過ぎ去ったことの、つらかったことも、嬉しかったことも、面白いと思ったことも、ただ今のようにしみじみと思える機会などあるだろうか。こま野の物語は、まったく面白くもなく、言葉遣いも古くて、見所の多くない作品だが、月に昔の女のことを思い出して、虫の食った夏扇を取り出して、「もと見し駒に」と言って訪ねていったのが、趣き深いのである。

雨は、風情もないものと思いこんでしまっているからだろうか。少しの時間、雨が降るのもとても憎たらしく思える。高貴な行事でも、面白いであろう催事でも、尊くて素晴らしいはずのことでも、雨さえ降れば、言うかいもなくてがっかりさせられるのに、どうして、その濡れて愚痴りながら男がやって来るのが、素晴らしいだろうか。

交野の少将(かたののしょうしょう)の悪口を言った落窪の少将(おちくぼのしょうしょう)などは、面白い。昨夜、一昨日の夜も通っていたからこそ、面白い話になったのだ。雨の夜に来て足を洗ったのは、憎たらしい。足が汚かったのだろう。

風などが吹いて、荒れている夜、男が来たのは、頼もしくて、嬉しくもあるだろう。

雪の夜は素晴らしい。「忘れめや」など、独り言を言って、人目を忍んで行くのはもちろんのこと、まったくそんな風ではない女の所も、直衣などは更に言うまでもなく、袍(うへのきぬ)の、蔵人の青色などがとても冷たく雪に濡れている様子は、とてもしみじみとした風情があるだろう。緑の上着であっても、雪にさえ濡れていれば、嫌なものではない。昔の蔵人は、夜などに女の所に行く時にも、ただいつもの青色の上着を着て、雨に濡れても、それを絞ったりしたということだ。今は、昼だって青色は着ないようだ。ただ緑の上着だけを、ひっかぶるようにして着ているようだ。衛府(ゑふ)の役人などが着たのは、ましてとても趣きのある服装だったのに。このように聞いて、雨の夜に女の所に歩いて行かないという男がでてくるわけではないが。

月がとても明るい夜、紙がまたとても赤いのに、ただ「あらずとも」と書いてあるものを、廂に差し込んできた月の光に当てて人が見ていた様子は、しみじみとした趣きのあるものであった。雨が降っている夜(月明かりがなくて雨が降っていて紙の文字など読めない夜)に、そんな趣きがあるだろうか。

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