厭離穢土(おんりえど)

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厭離穢土
(おんりえど)

[意味]

法然(ほうねん)を開祖とする浄土教の仏教用語であり、『厭離穢土・欣求浄土(おんりえど・ごんぐじょうど)』というように対句(ついく)で使われることが多い。厭離穢土の読み方は一般に『おんりえど』の慣用読みが多いが、元々の正しい読み方は『えんりえど』である。

煩悩と苦悩で穢れた(けがれた)娑婆世界(しゃばせかい,この世)を厭って(いとって)離れるということ。浄土教では煩悩に塗れた娑婆世界・この世を『穢国(穢れた国)・穢土』とする思想があり、穢国を厭って離れるという意味である。

阿弥陀如来のいる西方極楽浄土は、煩悩の穢れのない『清浄な国・土地』とされ、浄土教の信者は死後に極楽浄土に往生することを切望していた。極楽浄土に往生したいと願い求めることが『欣求浄土(ごんぐじょうど)』である。

『厭離穢土・欣求浄土』は戦国時代に、徳川家康の馬印の文字として用いられたことでも有名である。松平元康(後の徳川家康)は、桶狭間の戦いで今川義元が討死にした後、三河国にある菩提寺の大樹寺に隠れてそこで自害しようとした。その時に、大樹寺の13代住職・登誉(とうよ)が『厭離穢土・欣求浄土』の言葉を用いて、俗世を離れて浄土を求めれば仏の加護を得ることができるとする説法を行い、松平元康の切腹を思いとどまらせたというエピソードが残されている。

[出典]

源信の『往生要集』の冒頭の章名。

[類義語]



[対義語]

欣求浄土(ごんぐじょうど)

[用例]

俗世間の経済生活や人間関係に疲弊して絶望した時には、この世から離れて静かに暮らしたいという『厭離穢土』の考えが強まってくるものだ。

仏教の浄土教思想の根幹を為す『厭離穢土』の概念であるが、古代中国の老子・荘子などの思想家も俗世を避ける厭離穢土に似た『遁世・隠棲・脱俗の理想』を持っていたのである。

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参考文献
『新明解四字熟語辞典 第二版』(三省堂),『大修館 四字熟語辞典』(大修館),竹田晃『四字熟語・成句辞典』(講談社学術文庫)

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