16.中納言行平 立ち別れ〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『中納言行平の立ち別れ〜〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む

中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)

たちわかれ いなばのやまの みねにおうる まつとしきかば いまかえりこん

あなたと立ち別れするような形で因幡国に行くことになりましたが、因幡山の峰に生えている松のように、もしあなたが私を待ってくれているという話を聞けば、すぐにでも帰っていきます。

[解説・注釈]

中納言行平とは在原行平(ありわらのゆきひら,818-893)のことであり、行平は平城天皇の皇子・阿保親王(あぼしんのう)の子の血筋であった。在原行平は『伊勢物語』の主人公である在原業平(ありわらのなりひら)の兄であり、因幡守・太宰権帥など遠国の長官を歴任したキャリアでも知られる。在原一門の子弟にエリート教育を施すための『奨学院』を設立したり、古今和歌集に須磨に流刑に処された時の歌である『わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に 藻塩垂れつつ わぶとこたへよ』を残したりもしている。

都に残していく大切な人たちとの別れの歌であり、『いなば(因幡と往なば)』『まつ(松と待つ)』という二つの掛詞(かけことば)が効果的に用いられている。別れた相手ともう一度再会したいという切実な思い、長く離れていても自分のことを忘れずに待ち続けていて欲しいという悲哀の思いが込められた歌であるが、これは遠国の長官として派遣されたり須磨に配流されたりした在原行平のイメージにぴったり合った歌でもある。

因幡国は現在の鳥取県に当たるが、そこにある稲羽山とそこに生える松に自らの別離と哀惜の感情を投影している。在原行平は斉衡2年(855年)に因幡守として因幡国に派遣されているが、この歌には『旅立とうとする現在の不安(大切な人との別離)』『都に戻ってくるであろう将来の期待(再会の喜びの予感)』という異なる時間軸の思いが込められているように感じる。

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