『中庸』の書き下し文と現代語訳:17

儒教(儒学)の基本思想を示した経典に、『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四書(ししょ)がありますが、ここでは極端な判断を避けてその状況における最適な判断を目指す中庸(ちゅうよう)の大切さ・有利さを説いた『中庸』の解説をしています。『中庸』も『大学』と同じく、元々は大著『礼記』の中にある一篇ですが、『史記』の作者である司馬遷(しばせん)は『中庸』の作者を子思(しし)としています。

中庸の徳とは『大きく偏らない考えや判断に宿っている徳』という意味であるが、必ずしも全体を足して割った平均値や過不足のない真ん中のことを指しているわけではない。中庸の“中”は『偏らないこと』、“庸”は『普通・凡庸であること』を意味するが、儒教の倫理規範の最高概念である中庸には『その場における最善の選択』という意味も込められている。『中庸』の白文・書き下し文・現代語訳を書いていきます。

参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます)
金谷治『大学・中庸』(岩波文庫),宇野哲人『中庸』(講談社学術文庫),伊與田覺『『中庸』に学ぶ』(致知出版社)

[白文]

右第二十章

修身則道立、尊賢則不惑、親親則諸父昆弟不怨、敬大臣則不眩、体群臣則士之報体重、子庶民則百姓勧、来百工則財用足、柔遠人則四方帰之、懐諸侯則天下畏之。

[書き下し文]

右第二十章

身を修むれば則ち道立ち、賢を尊べば則ち惑わず、親を親しめば則ち諸父昆弟(しょふこんてい)怨みず、大臣を敬すれば則ち眩(げん)せず、群臣を体すれば則ち士の報礼(ほうれい)重く、庶民を子とすれば則ち百姓(ひゃくせい)勧み(すすみ)、百工を来せば則ち財用足り、遠人(えんじん)を柔らぐれば則ち四方これに帰し、諸侯を懐くれば(なつくれば)則ち天下これを畏る(おそる)。

[現代語訳]

君主が我が身を修めれば、天下国家を統治するための正道が確立する。賢者を尊敬すればその助言・知恵によって迷うことがない、親族と親しくすれば叔父や兄弟、従兄弟などから怨みを買うこともない、大臣を敬って信頼すれば大臣はその力を発揮するに当たって迷うことがない、群臣を礼遇して大切にすれば士大夫たちは主君の恩義に報いようとして必死に働く、庶民をわが子のように大切にすれば庶民は主君を父のように仰ぎ、百工を招けば国内の産業が活性化して器物・財物が十分に供給され、遠方から来た人を丁重に持て成せばその世評によって四方が進んで帰属し、諸侯と親しくして懐柔すれば天下はみんなその威徳を畏れることになる。

[補足]

儒教の国家統治の基本原則として前段で示された『九経(9つの法原理)』を、もう一度分かりやすく具体的に説明している章である。

[白文]

齊明盛服、非礼不動、所以修身也。去讒遠色、賤貨而貴徳、所以勧賢也。尊其位、重其禄、同其好悪、所以勧親親也。官盛任使、所以勧大臣也。忠信重禄、所以進士也。時使薄歛、所以勧百姓也。日省月試、既稟稱事、所以勧百工也。送往迎来、嘉善而矜不能、所以柔遠人也。継絶世、挙廃国、治乱持危、朝聘以時、厚往而薄来、所以懐諸侯也。

[書き下し文]

斉明盛服(さいめいせいふく)、礼に非ざれば動かざるは、身を修むる所以なり。讒(ざん)を去り色を遠ざけ、貨を賤しみて徳を貴ぶは、賢を勧むる所以なり。その位を尊くしその禄を重くし、その好悪(こうお)を同じくするは、親を親しむを勧むる所以なり。官盛んに使うに任ずるは、大臣を勧むる所以なり。忠信、禄を重くするは、士を勧むる所以なり。時に使い薄く歛(れん)するは、百姓を勧むる所以なり。日に省み(かえりみ)月に試み、既稟(きりん)事に称う(かなう)は、百工を勧むる所以なり。往(おう)を送り来(らい)を迎え、善を嘉して(よみして)不能を矜れむ(あわれむ)は、遠人を柔らぐる所以なり。絶世を継ぎ、廃国を挙げ、乱を治め危うきを持し、朝聘(ちょうへい)時(とき)をもってし、往を厚くして来を薄くするは、諸侯を懐くる所以なり。

[現代語訳]

精神と衣冠を正しく整えて慎み、礼に適っていなければ動かないというのは、身を修めている所以である。讒言を言わずに色欲を遠ざけ、貨財を賤しんで徳を貴ぶのは、賢を勧めている所以である。親族の位を高くしてその俸禄を多くし、その好き嫌いに合わせることは、親族と親しくして怨恨を防いでいる所以である。大臣の下に属官を置いて自由に任免できるようにするのは、大臣の能力を存分に発揮できるように勧めている所以である。忠義に厚い家臣の俸禄を多くしているのは、士を勧めている所以である。農業の暇な時期に使役して税金を安くするのは、百姓を大切にしている所以である。日々職人たちの仕事を顧みて、月にその仕事の成果を確認し、その仕事に応じた報償を与えるのは、百工の産業を勧めている所以である。遠人が帰って行くのを見送り、やって来るのを迎える、善なる者を賞賛して不能な者を哀れむのは、遠人を柔らげる所以である。子孫が絶えた家の後継ぎを探し、廃れた国を再興させ、乱れた者を治めて危険がないようにし、諸侯の朝勤や大夫の参上は規定の時期に来れば良いこととし、朝廷から賜る物を多くして諸侯からの貢物を少なくするのは、諸侯に忠誠を誓わせて懐かせている所以である。

[補足]

この章も上の部分と同じように、儒教の国家統治(徳治主義)の基本原則である『九経(9つの法原理)』を具体的に分かりやすく説明した部分である。君主が実際に実践している政治の要諦・事例を取り上げており、『なぜ君主はそのようにすべきなのかの疑問』に的確に応えてくれるような内容になっている。

[白文]

凡為天下国家有九経。所以行之者、一也。凡事予則立、不予則廃。言前定則不躓、事前定則不困、行前定則不疚、道前定則不窮。

[書き下し文]

凡そ(およそ)天下国家を為むる(おさむる)に九経(きゅうけい)あり。これを行う所以のものは一なり。凡そ事予め(あらかじめ)すれば則ち立ち、予めせざれば則ち廃す。言(こと)前(まえ)に定まれば則ち躓かず、事前に定まれば則ち困しまず(くるしまず)、行い前に定まれば則ち疚しからず、道前に定まれば則ち窮まらず。

[現代語訳]

およそ天下国家を治めるには、万古不易の九つの法(原則)がある。これを行う所以はただ一つ、誠である。およそ物事はあらかじめ準備すれば成功し、あらかじめ準備をしなければ失敗してしまう。言葉を発する時にも話す内容をあらかじめ定めておけば言い間違えることはない、物事に臨む時にもあらかじめ準備しておけば苦しまない、行動する前に備えておけば失敗することはない、道を実践する時にもあらかじめ定めておけば窮迫することはないのである。

[補足]

天下国家を安定して統治するための『九経』について述べた部分であるが、ここでは『転ばぬ先の杖・備えあれば憂いなし』のことわざに相当するような基本的な処世訓が繰り返し述べられている。およそ全ての物事・行動・発言はあらかじめしっかりと準備しておけば、概ね必然的に成功することになるという当たり前の因果関係が主張されているのだが、『事前の予測・準備・対策・構えの大切さ』を改めて教えられるような気分にさせられる章である。

Copyright(C) 2014- Es Discovery All Rights Reserved