孔子の『論語』の書き下し文・現代語訳と解説

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ここでは、儒教(儒学)の始祖である孔子(Confucius, B.C.552,551-479)と高弟の言行・思想のエッセンスをまとめた『論語』の書き下し文を示して、その内容を解説していきます。孔子の『論語』以外にも、儒学教典の『孟子』『大学』『中庸』や道教教典の『老子』『荘子』、司馬遷が書いた古代中国の史書である『史記』など中国の古典漢文の解説もします。“日本の古典文学のコンテンツ”“哲学の人物・概念のコンテンツ”も作成しています。

孔子の『論語』の解説

『孟子』の解説

『大学』の解説

『中庸』の解説

『史記』のエピソード

『老子』の解説

中国古典から生まれた故事成語

孔子の『論語』の解説

『孟子』の解説

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『大学』の解説

『中庸』の解説

司馬遷の『史記』のエピソード

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『老子』の解説

中国古典から生まれた故事成語

古代中国の春秋時代(B.C.770-403)の思想家である孔子は、名を丘、字(あざな)を仲尼といい、中心的な権威や道徳的な規範を見失った乱世の春秋時代に、仁義や礼楽による政治秩序を取り戻すことを理想としました。儒教の道徳の根本にはシャーマニズム的な原始宗教のエートス(行動様式)があり、そのエートスは祖先崇拝の儀礼や祭儀として継承されていきます。

周公旦が建国した魯の国に生まれた孔子は、祖先崇拝(家父長制)の宗教性と官僚機構(有徳有能な士大夫)の統治能力によって国家を安定的に運営しようとしました。家庭の中では父親が権威であり、父親の父親である祖父は更に上位の権威であるというように、孔子は家父長制の権威や祖先崇拝の階層によって家の秩序が守られると説きます。そういった身分や立場の区別を厳格に守ろうとする教えから、孔子の忠孝と献身に基づく政治思想は、封建主義的な身分制度(階層秩序)を理論的に補強するものであるという批判があります。

孔子が生きた春秋時代の乱世を考えると、『正統な権威(君主・祖先・両親・先輩)を敬仰する謙虚(従順)さ』によって社会秩序の混乱を防ごうとしていたと言えますが、身分制度や男性原理を肯定する思想という意味では、儒教は現代的な自由主義や民主主義の価値観と相容れない部分もあります。何故なら、儒教の人間関係の基本は『水平的な平等』ではなく『垂直的な区別』であり、身分制度や親子関係(年齢差)による序列によって上下関係を明確にすることが正しい(義)と考えるからです。

複数の人間や集団がいて、どちらが上でどちらが下か分からない混乱した状況では礼節や忠孝といった従順な徳性が発揮されず、双方が相手よりも自分の方が上であると主張して紛争が続いてしまうと孔子は考えます。春秋時代の戦乱や悲惨も、諸国の諸侯が周王室という中華世界の権威を無視して権力と利害を争い始めたことが原因だというわけです。儒教思想では、目上の者を敬う『長幼の序』や君子・士大夫といった身分が上位の者を崇敬する『忠義・礼節の徳』が社会に行き渡っていれば、下位の者が上位の者の地位を脅かす恐れがないので社会が平和になり安定すると考えます。

『忠』とは支配階層への服従の徳であり、『孝』とは自分を産んだ親や祖先を尊敬する徳です。上下関係を安定させようとする儒教道徳は、封建的な定常社会(身分制社会)の維持には適していても、民主的な競争社会(自由主義・資本主義)の発展には適していない部分があります。

儒教の中心的徳目である『仁』とは『他者に対する思いやり』を意味しますが、それはキリスト教のような無条件の博愛精神(アガペー)を指すものではなく、父系の血縁集団に対する思いやりから敷衍されるものです。つまり、儒教道徳である『仁』は、『父系親族はそれ以外の人よりも大切である』という価値判断に従って生まれる思いやり(優しさ)であり、社会秩序を維持する為に必要な『義(正しさ)』『礼制(形式・制度)』と共に発揮されるべきものなのです。

春秋の五覇の諸侯が覇権を競い合う春秋時代の始まりは、古代の中国世界において正統的な権威であった周王室(西周)の勢威の衰退を意味するものでした。周王室に12代目の幽王という暗君が出現して申の国の侯爵が幽王に反乱を起こした為、周の首都は鎬京(こうけい)から洛陽へと遷都(東遷)されます。東周になってからの周王室の勢力と権威は失墜する一方であり、遂に孔子が理想とした西周の礼制に基づく徳治政治が実現することはありませんでした。

孔子が最も理想的な政治家としたのは、周の建国初期に武勇と智謀に秀でた忠臣であった周公旦です。商王朝(殷)の暴君・紂を討って周王朝を樹立した武王の子である成王への忠節を決して曲げずに、家臣としての謙譲と礼容を守った人物が周公旦でした。太公望・呂尚と並ぶ建国の功臣である周公旦は、孔子の生国である魯の太守でもあり、孔子は周のような徳治に至る王政復古を一つの政治的理想に掲げていたと言えます。自分自身の教養と徳性を高めて、有徳の君子による人民の統治に奉公するという『修己治人』が儒教の基本原理ですが、その具体的な展開として『修身・斉家・治国・平天下』が言われました。

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