『徒然草』の239段~243段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の239段~243段が、このページによって解説されています。

参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます)
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

第239段:八月十五日・九月十三日は、婁宿(ろうしゅく)なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶ(もてあそぶ)に良夜とす。

[現代語訳]

八月の十五夜と九月の十三夜は、古代中国の天文学における『婁宿の日(黄道沿いの28の星座を地球の月・日の基準としたが、その28宿のうちの一つで月を鑑賞するのに適した日))』だ。この婁宿の日は、月が清くて明るいので、月を見るのに良い夜となる。

[古文]

第240段:しのぶの浦の蜑(あま)の見る目も所せく、くらぶの山も守る人繁からんに、わりなく通はん心の色こそ、浅からず、あはれと思ふ、節々の忘れ難き事も多からめ、親・はらから許して、ひたふるに迎へ据ゑたらん、いとまばゆかりぬべし。

世にありわぶる女の、似げなき老法師、あやしの吾妻人(あづまうど)なりとも、賑ははしきにつきて、『誘ふ水あらば』など云ふを、仲人、何方も心にくき様に言ひなして、知られず、知らぬ人を迎へもて来たらんあいなさよ。何事をか打ち出づる言の葉にせん。年月のつらさをも、『分け来し葉山の』なども相語らはんこそ、尽きせぬ言の葉にてもあらめ。

すべて、余所の人の取りまかなひたらん、うたて心づきなき事、多かるべし。よき女ならんにつけても、品下り、見にくく、年も長けなん男は、かくあやしき身のために、あたら身をいたづらになさんやはと、人も心劣りせられ、我が身は、向ひゐたらんも、影恥かしく覚えなん。いとこそあいなからめ。

梅の花かうばしき夜の朧月に佇み、御垣が原の露分け出でん有明の空も、我が身様に偲ばるべくもなからん人は、ただ、色好まざらんには如かじ。

[現代語訳]

海岸で人目を忍んで好きな女に逢おうとしても、他人の見る目は煩わしいもので、闇に紛れた山で女に逢おうとしても、山守りの目線があったりもする。そう考えると、無理をしてまで女の下へ通っていく男の心情には深くしみじみとした哀れさがあるものだが、その時々で忘れられない事というのも多いだろう。だが女の親・兄弟から関係を許されて、ただ自分の家に引き取って生活の面倒を見てやるだけというのは、余り輝かしい(喜ばしい)ものでもない。

世渡りに困ってあぶれた女が、自分の年齢に似つかわしくない老人や、怪しげな関東人などであっても裕福であるのに惹かれて、『誘う水あれば(小野小町作の歌 わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて 誘ふ水あらば 往なんとぞ思ふ)』などと言えば、仲人は双方ともに奥ゆかしい人のように言いくるめて、お互いに知らない人を引き合わせることにもなるが、これは何ともつまらないことだ。こうして仲人によって結び合わせられる男女は、初めにどんな言葉を口にするのだろうか。それよりも気楽に合えなかった年月のつらさを、『分けて来た葉山の(筑波山 端山繁山 しげけれど 思ひ入るには さはらざりけり 新古今和歌集)』などと言ってお互いに語り合えるような関係のほうが、話の種が尽きることが無いだろう。

すべて、本人ではない人がお膳立てしたような結婚は、何とも気にくわない事が多いものだ。仲介者が素晴らしい女を紹介してくれても、その女よりも身分が低く、容姿が醜く、老いてしまったような男だと、こんなつまらない自分のためにあんなに素晴らしい女性が人生を無駄にすることになるのではないかと考えてしまう。自分と女の落差から自分に自信が持てなくなり、我が身に向かう時には、鏡に映る自分の影すらも恥ずかしく思えてしまうのである。ひどく味気ない人生である。

梅の花が薫る夜に、朧月の下で恋人を求めて彷徨い歩くのも、恋人の住む家の垣根の辺りを露を分けて帰ろうとする夜明けの空も、これを我が身のことのように思えない人は、恋心は分からないし恋愛に夢中にならないほうが良いだろう。

[古文]

第241段:望月の円か(まどか)なる事は、暫くも住せず、やがて欠けぬ。心止めぬ人は、一夜の中にさまで変る様も見えぬにやあらん。病の重るも、住する隙なくして、死期既に近し。されども、未だ病急ならず、死に赴かざる程は、常住平生(じょうじゅうへいぜい)の念に習ひて、生の中に多くの事を成じて後、閑かに道を修せんと思ふ程に、病を受けて死門に臨む時、所願一事(しょがんいちじ)も成ぜず。言ふかひなくて、年月の懈怠(けだい)を悔いて、この度、若し立ち直りて命を全くせば、夜を日に継ぎて、この事、かの事、怠らず成じてんと願ひを起すらめど、やがて重りぬれば、我にもあらず取り乱して果てぬ。この類のみこそあらめ。この事、先づ、人々、急ぎ心に置くべし。

所願を成じて後、暇ありて道に向はんとせば、所願尽くべからず。如幻(にょげん)の生の中に、何事をかなさん。すべて、所願皆妄想なり。所願心に来たらば、妄心迷乱すと知りて、一事をもなすべからず。直に万事を放下して道に向ふ時、障りなく、所作なくて、心身永く閑かなり。

[現代語訳]

満月の丸さは少しも留まることがなく、やがては欠ける。月に心をとめない人ならば、一夜のうちに満月がそんなにも変わっているようには見えないだろう。病いの重さにしても、とどまる暇はなく死期はすぐに迫る。しかし、まだ病気も重くなくて死なない程度だと、誰しもずっと平穏無事だろうと思い込むもので、もっと色々な事をしてから、老後にでも静かに仏道を修めるとしようなどと思っているものだ。病を重くして死に臨む時には、仏道の願いなどはまだ一つも成せていないと語るのも虚しく、ただ年月の怠惰を悔やむことになり、『もし病が治って天寿を全うできるなら、昼夜を問わずに、この事、あの事、すべて怠りなく行う所存です』とか言うのだけれど、やがて病気は重症化していき、自我を見失って取り乱したままで亡くなってしまう。こんな事例が多いのだ。この事をまず、人々は急いで心に刻むべきなのだろう。

俗世での願望を果たした後で、暇があったら出家したいものだというのでは、世俗的な欲が尽きるはずもないのだ。夢幻のごとき人生で、何を成し遂げられるか。すべての願いは、みな妄想である。俗世での願いが心に浮かんだならば、それが妄信を生んで心を惑わすものだと知って、俗世的な欲望を実現するために何もすべきではないのだ。即座に全てを放り出して仏道に向えば、何の障害もなくて、する事もないのだから、身も心も末永く静かに落ち着いたものとなる。

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[古文]

第242段:とこしなへに違順(いじゅん)に使はるる事は、ひとへに苦楽のためなり。楽と言ふは、好み愛する事なり。これを求むること、止む時なし。楽欲(がくよく)する所、一つには名なり。名に二種あり。行跡(ぎょうせき)と才芸との誉なり。二つには色欲、三つには味ひ(あじわい)なり。万の願ひ、この三つには如かず。これ、顛倒(てんどう)の想より起りて、若干の煩ひあり。求めざらんには如かじ。

[現代語訳]

永遠に終わりなく、順境(幸福)と逆境(不幸)とにこき使われることは、ただ一途に楽を求めて苦を逃れようとするためである。『楽』というのは、あるものを好んで愛することである。これを求めれば、終わりがない。楽しんで欲望することの、一つは『名誉』である。名誉には二種類ある。自分がやってきた実績(あるいは公的な身分・立場)と自分の持っている才能・技芸の二つの名誉である。楽しんで欲望することの二つ目は『色欲』である。三つ目は『美味しいもの』を食べたいという味覚の欲である。すべての願いは、この基本的な三つの欲望には及ばない。これらは真実とは正反対のことを信じる顛倒の思念によって起こるもので、多くの心の苦悩を伴うものだ。多くを求めないことに越したことはない。

[古文]

第243段:八つになりし年、父に問ひて云はく、『仏は如何なるものにか候ふらん』と云ふ。父が云はく、『仏には、人の成りたるなり』と。また問ふ、『人は何として仏には成り候ふやらん』と。父また、『仏の教によりて成るなり』と答ふ。また問ふ、『教え候ひける仏をば、何が教へ候ひける』と。また答ふ、『それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり』と。また問ふ、『その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける』と云ふ時、父、『空よりや降りけん。土よりや湧きけん』と言ひて笑ふ。『問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ』と、諸人に語りて興じき。

[現代語訳]

八つになった年に、父に質問した。『仏とは、どういうものでございますか?』と言った。父が言うことには『仏とは、人が悟りを開き成ったものだ』と。また問いかけた。『人はどうして仏に成れたのですか?』と。父はまた『仏の教によって仏に成るのである』と答えた。また問うた。『その道を教えてくれる仏自身は、何から教わったのですか?』と。また父は答える。『その仏もまた、前の仏の教えによって仏に成られたのだ』と。また問う。『その教えを始められた第一の仏は、どのような仏にございますか?』と聞くと、父は『空より降ってきたか。土から湧いてきたか』と答えて笑った。『息子から問い詰められて、仏の原点について答えられなくなりました』と、父はみんなに語って面白がっていた。

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