『枕草子』の現代語訳:142

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『きらきらしきもの  大将の御前駆追ひたる。孔雀経の御読経~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

280段

きらきらしきもの

大将の御前駆(おんさき)追ひたる。孔雀経の御読経(みどきょう)。御修法(みじゅほう)。五大尊のも。御斎会(ごさいゑ)。蔵人の式部の丞の白馬の日大路練りたる。その日靭負(ゆげひ)の佐(すけ)の摺衣(すりぎぬ)やうする。尊勝王(そんしょうおう)の御修法。季の御読経。熾盛光(しじょうこう)の御読経。

281段

神のいたう鳴るをりに、神鳴の陣こそ、いみじう恐ろしけれ。左右の大将、中、少将などの、御格子(みこうし)のもとに侍ひ給ふ、いといとほし。鳴り果てぬるをり、大将仰せて、「おり」と、のたまふ。

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[現代語訳]

280段

(威儀正しくて)立派なもの

近衛の大将の先払いで人を追っている様子。孔雀経の御読経。御修法(みじゅほう)。五大尊の御修法も。御斎会。蔵人の式部の丞が、白馬(あおうま)の日に、大路を練り歩く姿。その日、靭負(ゆげい)の佐(すけ)が摺衣(すりぎぬ)を艶出ししている。尊勝王(そんしょうおう)の御修法。季の御読経。熾盛光(しじょうこう)の御読経。

281段

雷がひどく鳴る時に、雷の陣は、物々しくて恐ろしい。左右の近衛の大将、中将少将などが、清涼殿の御格子の所に伺候されるのが、とても可哀想である。雷が鳴り終わった後に、大将が命じて、「おり」とおっしゃる。

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[古文・原文]

282段

坤元録(こんげんろく)の御屏風(みびょうぶ)こそ、をかしうおぼゆれ。漢書(かんじょ)の屏風は、雄々しくぞ聞えたる。月次(つきなみ)の御屏風も、をかし。

283段

節分違へ(せつぶんたがえ)などして、夜深く帰る、寒きこといとわりなく、頤(おとがひ)なども皆落ちぬべきを、辛うして来着きて、火桶引き寄せたるに、火の大きにて、つゆ黒みたる所もなくめでたきを、こまかなる灰の中よりおこし出でたるこそ、いみじうをかしけれ。

また、ものなど言ひて、火の消ゆらむも知らず居たるに、異人(ことひと)の来て、炭入れておこすこそ、いとにくけれ。されど、めぐりに置きて、中に火をあらせたるは、よし。皆外ざま(ほかざま)に火をかきやりて、炭を重ね置きたる頂に、火を置きたる、いとむつかし。

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[現代語訳]

282段

坤元録(こんげんろく)の御屏風(みびょうぶ)は、面白く思われる。漢書(かんじょ)の屏風は、雄々しい感じに聞こえる。月次(つきなみ)の御屏風も、面白い。

283段

節分の方違えに行ったりして、夜が深いうちに帰るが、寒くて寒くて堪らず、顎などがみんなもう少しで落ちそうな寒さに耐えて、何とか帰り着いて、火桶を引き寄せた時に、火が大きくて、まったく黒い所もなくて見事な燃え方をしているのを、細やかな灰の中から掘り起こしたのは、とても面白いものだ。

また、会話などをして、火が消えそうなのにも気づかないでいたところ、他の人がやって来て、炭を入れて火を起こすのは、とても憎らしい。しかし、炭を周りに置いて、中に火を囲っているのは、良いものだ。外にすっかり火をかき出して、炭を重ねて置いたその上に、火を置いたのは、あまり良いものではない。

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