清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。
このウェブページでは、『枕草子』の『雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。
参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)
[古文・原文]
284段
雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃(すびつ)に火起こして、物語などして集り侍ふに、(宮)「少納言よ、香爐峯(こうろほう)の雪、いかならむ」と、仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。
人々も、「さる事は知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそ寄らざりつれ。なほ、この宮の人には、さべきなめり」と言ふ。
285段
陰陽師(おんみょうじ)のもとなる小童(こわらべ)こそ、いみじう物は知りたれ。祓へ(はらえ)などしに出でたれば、祭文(さいもん)など読むを、人はなほこそ聞け、ちうと立ち走りて、「酒、水、いかけさせよ」とも言はぬに、しありくさまの、例知り、いささか主に物言はせぬこそ、羨しけれ。さらむ者がな、使はむとこそ、おぼゆれ。
[現代語訳]
284段
雪がとても高く降り積もっているのに、いつものようではなく御格子を下ろしたまま、炭櫃(すびつ)に火を起こして、女房たちが会話などをして集まって侍っていると、(宮)「少納言よ、香爐峯(こうろほう)の雪は、どのようなものでしょう」と、おっしゃられるので、御格子を上げさせて、御簾を高く上げた所、中宮様はお笑いになられる。
人々も、「そんな事はみんな知っており、歌などにも歌っているけれど、(すぐに御簾を上げるという機転は)思いも寄らなかった。やはり、この中宮様に仕える女房としては、然るべき教養を備えた人のようだ」と言う。
285段
陰陽師(おんみょうじ)の所で使われている小さな子供は、とてもよく物事を知っている。祓へ(はらえ)などをしに河原に出ると、陰陽師が祭文(さいもん)などを読むのを、人は適当に聞いているのだが、その子供は素早く立ち走って、「酒、水、などをかけさせよ」とも言わないうちに、それをやってしまう様子が、作法に通じていて、主人に少しも余計な言葉を言わせないところが、羨しいものである。そういった者がいないだろうか、使ってみたいなと、思うのである。
[古文・原文]
286段
三月ばかり、物忌(ものいみ)しにとて、かりそめなる所に、人の家に行きたれば、木どもなどのはかばかしからぬ中に、柳といひて例のやうになまめかしうはあらず、葉広く見えてにくげなるを、(清少納言)「あらぬ物なめり」と言へど、「かかるもあり」など言ふに、
さかしらに 柳のまゆの ひろごりて 春の面(おもて)を 伏する宿かな
とこそ、見ゆれ。
そのころ、また、同じ物忌しに、さやうの所に出でたるに、二日といふ日の昼つ方、いと徒然(つれづれ)まさりて、ただ今も参りぬべき心地するほどにしも、おほせ言のあれば、いとうれしくて見る。浅緑(あさみどり)の紙に、宰相の君、いとをかしげに書い給へり。
「いかにして過ぎにし方を過(すぐ)しけむ暮しわづらふ昨日今日かな
となむ。私には、今日しも千年(ちとせ)の心地するに、暁には、疾く(とく)」とあり。この君ののたまひたらむだに、をかしかべきに、まして、おほせ言のさまは、おろかならぬ心地すれば、
(清少納言)「雲の上も 暮しかねける 春の日を 所からとも ながめつるかな
私には、今宵のほども、少将にやなり侍らむとすらむ」とて、暁にまゐりたれば、(宮)「昨日の返し、『かねける』いとにくし。いみじうそしりき」と、仰せらるる、いとわびし。誠にさることなり。
[現代語訳]
286段
三月の頃、物忌(ものいみ)のために、仮の宿として、人の家に行ったところ、庭の木などが立っていてあまり良い木も無い中で、柳というけれど、普通の柳のように上品ではなく、葉が広く見えて見た目が良くないものを、(清少納言)「柳ではないでしょう」と言うけれど、「このような柳もある」などと言うので、
さかしらに 柳のまゆの ひろごりて 春の面(おもて)を 伏する宿かな(小ざかしく柳の木の葉が広がって、春の景色を隠してしまっている宿であるな)
と、歌を詠んだ。
その頃、また、同じ物忌のために、そうした所に退出すると、二日目のお昼頃、とても退屈な気持ちが強くなってしまって、今すぐにも参上したい気持ちになっていたその時、中宮様からのお手紙がきたので、とても嬉しい気持ちで読んだ。浅緑色の紙に、宰相の君が、とても綺麗な筆跡で書いておられる。
「いかにして過ぎにし方を過(すぐ)しけむ暮しわづらふ昨日今日かな(どのようにして今まで過ごしているのですか。あなたがいない日々の暮らしを寂しく思っている昨日今日なのです)
という歌が詠んである。私と致しましても、今日はもう千年(ちとせ)を過ごすような気持ちですから、明日の明け方には、早く参上されて下さい」と手紙には書いてある。宰相の君のお言葉だけでも面白いのに、まして、中宮様の歌の趣きは、おろそかにはできないという気持ちがするので、
(清少納言)「雲の上も 暮しかねける 春の日を 所からとも ながめつるかな(雲の上には長く暮らしかねます。春の日をどこということもない所から眺めていただけですよ)
私と致しましては、今宵のうちにも、あの少将のようになってしまうのではないかという思いがします」と返事を書いて差し上げ、明け方に参上すると、(宮)「昨日の返事に書いてあった、『かねける』と言う言い方はとても憎たらしいものですね。みんなでひどくその言い方を非難しました」と、おっしゃられるのが、とても悲しい。本当にその通り(生意気な言い方)であるので。
トップページ> Encyclopedia>
日本の古典文学>現在位置
プライバシーポリシー