『枕草子』の現代語訳:144

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『十二月二十四日、宮の御仏名の半夜の導師聞きて出づる人は、夜中ばかりも過ぎにけむかし~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

287段

十二月二十四日、宮の御仏名の半夜の導師聞きて出づる人は、夜中ばかりも過ぎにけむかし。

日ごろ降りつる雪の、今日はやみて、風などいたう吹きつれば、垂氷(たるひ)いみじうしたり。土などこそ、むらむら白き所がちなれ、屋の上はただおしなべて白きに、あやしき賤(しづ)の屋も雪に皆面隠し(おもがくし)して、有明の月のくまなきに、いみじうをかし。

銀(しろかね)などを葺きたるやうなるに、水晶の滝など言はましやうにて、長く短く、殊更に掛け渡したると見えて、言ふにもあまりてめでたきに、下簾(したすだれ)も懸けぬ車の、簾をいと高う上げたれば、奥までさし入りたる月に、薄色、白き、紅梅など、七つ八つばかり着たる上に、濃き衣のいとあざやかなる艶など、月に映えてをかしう見ゆる傍(かたはら)に、葡萄染(えびぞめ)の固紋(かたもん)の指貫(さしぬき)、白き衣どもあまた、山吹、紅など着こぼして、直衣(なおし)のいと白き、紐を解きたれば、脱ぎ垂れられていみじうこぼれ出でたり。指貫の片つ方は、軾(とじきみ)のもとに踏み出だしたるなど、道に人逢ひたらば、をかしと見つべし。

月の影のはしたなさに、後ざまにすべり入るを、常に引き寄せ、あらはになされて、わぶるもをかし。

「凛々として氷鋪けり(しけり)」といふことを、返す返す誦(ず)じておはするは、いみじうをかしうて、夜一夜もありかまほしきに、行く所の近うなるも、くちをし。

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[現代語訳]

287段

十二月二十四日、中宮の御仏名の半夜の導師のお話を聞いて退出する人は、もう夜中の時間も過ぎていたであろう。

何日も降り積もった雪が、今日はやんで、風などがひどく吹いたので、(家の軒に)氷柱(つらら)がたくさん垂れている。地面の土などは、まだらに雪の白い所が多い感じだが、屋根の上はほとんど真っ白なのに、怪しげなみすぼらしい卑賤の者の家も、雪がすっかりとその醜い様子を隠して、有明の月が陰なく辺りを照らしているので、とても趣きがある。

屋根は銀を葺いたような美しさなのに、水晶の滝などと言いたいような、氷柱が長かったり短かったり、殊更に趣きのある形で掛け渡しているように見えて、言いようもないほど素晴らしいものを、下簾(したすだれ)も懸けない車の、簾をとても高く巻き上げているので、奥までさし込んだ月の光に、薄紫、白、紅梅など、七~八枚ほど、重ねて着た上に、濃い紫の上着のとても鮮やかな艶など、月光に映えて美しく見えるその傍らに、葡萄染(えびぞめ)の固紋(かたもん)の指貫(さしぬき)に、白い単衣などがたくさん、山吹色、紅の衣などを出して着て、真っ白な直衣(なおし)の、入れ紐を解いているので、上の衣が脱げて、下の衣がとてもこぼれ出ている。指貫の片足は、車の軾(とじきみ)の所に踏み出だしているなど、途中で誰か人と会ったら、風情のある恰好だと見るだろう。

月の光が明るくて体裁が悪いので、女が後ろの方に引っ込むのを、男は常に自分へと引き寄せて、二人の関係があらわにされてしまい、女が嫌がっているのも面白い。

「凛々として氷鋪けり(しけり)」という詩を、男が何度も吟じていらっしゃるのは、とても面白くて、一晩中でもこうして車に乗っていたいのに、行こうとしている所が近くなってくるのは、残念だ。

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[古文・原文]

288段

宮仕へする人々の出で集りて、おのが君々の御こと、めで聞こえ、宮の内、殿ばらの事ども、かたみに語り合はせたるを、おのが君々、その家主人(あるじ)にて聞くこそ、をかしけれ。

家広く、清げにて、わが親族は更なり、うちかたらひなどする人も、宮仕へ人を、方々に据ゑてこそあらせまほしけれ。

さべき折は、一所に集り居て、物語し、人の詠みたりし歌、何くれと語りあはせて、人の文など持て来るも、もろともに見、返事書き、また、睦ましう来る人もあるは、清げにうちしつらひて、雨など降りてえ帰らぬもをかしうもてなし、まゐらむ折は、その事見入れ、思はむさまにして出だし立てなどせばや。

よき人のおはします有様などの、いとゆかしきこそ、けしからぬ心にや。

289段

見ならひするもの

欠伸(あくび)。ちごども。

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[現代語訳]

288段

宮仕えしている女房たちが退出して集まってきて、それぞれが仕える主君のことを、お褒め申し上げて、中宮の御殿の様子、高貴な殿方のことなどを、お互いに語り合っているのを、その家の主人として聞くのは面白い。

家が広く、綺麗にしていて、自分の親族は言うまでもなく、語り合って仲の良い人なども、宮仕えしている人を、それぞれの部屋に住まわせておきたいと思われる。

何かの折には、一つの部屋に集まってきて、会話をし、人の詠んだ歌などを、何くれと語り合い、人の手紙など持って来た時には、一緒に見て、返事を書き、また、親しく訪れて来る男もある時には、こざっぱりとしつらいをして、雨など降って帰れないという時には、風情ある形でもてなし、女房たちが参上する時には、その世話を焼いて、思うように立派な感じにして出仕させたいものである。

高貴なお方がいらっしゃるご様子などが、とても知りたくなってしまうのは、けしからぬ心であろうか。

289段

見て真似してしまうもの

欠伸(あくび)。幼児たち。

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