『枕草子』の現代語訳:147

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『大納言殿まゐりたまひて、書のことなど奏したまふに、例の~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

297段

大納言殿まゐりたまひて、書のことなど奏したまふに、例の、夜いたく更けぬれば、御前なる人々、一人二人づつ失せて、御屏風、御几帳の後などに、皆隠れ臥しぬれば、ただ一人、ねぶたきを念じてさぶらふに、「丑四つ(うしよつ)」と奏すなり。

(清少納言)「明け侍りぬなり」と、ひとりごつを、大納言殿、「今更に、な大殿籠りおはしましそ」とて、寝べきものともおぼいたらぬを、うたて、何しにさ申しつらむと思へど、また人のあらばこそ、まぎれもせめ。上の御前の、柱に寄りかからせ給ひて、すこしねぶらせ給ふを、(大納言・伊周)「かれ見たてまつらせ給へ。今は明けぬるに、かう大殿籠るべきかは」と申させたまへば、「げに」など宮の御前にも笑ひきこえさせ給ふも知らせ給はぬほどに、長女(おさめ)が童(わらわ)の、鶏(とり)を捕へ持て来て、「朝(あした)に里へ持て行かむ」と言ひて、隠し置きたりける、いかがしけむ、犬見つけて追ひければ、廊の間木(まぎ)に逃げ入りて、恐ろしう鳴きののしるに、皆人、起きなどしぬなり。

上も、うち驚かせ給ひて、(帝)「いかでありつる鶏ぞ」など、尋ねさせ給ふに、大納言殿の、「声、明王の眠りを驚かす」といふことを、高ううち出し給へる、めでたうをかしきに、ただ人のねぶたかりつる目も、いと大きになりぬ。「いみじき折の事かな」と、上も宮も興ぜさせ給ふ。なほかかる事こそ、めでたけれ。

またの夜は、夜の御殿(おとど)にまゐらせ給ひぬ。夜中ばかりに、廊に出でて人呼べば、(大納言・伊周)「下るるか。いで、送らむ」とのたまへば、裳(も)、唐衣(からぎぬ)は屏風にうち掛けて行くに、月のいみじう明く、御直衣(おんなおし)のいと白う見ゆるに、指貫(さしぬき)を長う踏みしだきて、袖をひかへて、(大納言)「倒るな」と言ひて、おはするままに、「遊子(ゆうし)なほ残りの月に行く」と誦(ず)じ給へる、またいみじうめでたし。(大納言)「かやうの事めでたまふ」とては笑ひ給へど、いかでか、なほをかしきものをば。

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[現代語訳]

297段

大納言様(伊周)が参上されて、帝に詩文のことなどをお教え申し上げるうちに、いつものように、夜もひどく更けてしまったので、御前にいた女房たちは、一人二人と姿を消していき、御屏風や御几帳の後ろなどに、皆隠れて寝てしまったので、私ただ一人だけが、眠たいのを我慢して侍っていると、「丑四つ(うしよつ)」と時を奏す声がしている。

(清少納言)「夜が明けたようでございます」と、独り言を言ったが、大納言様は、「今更、お眠りなさいますな」と申し上げて、まったく眠りそうなご様子もないのに、あぁダメだ、何でそんなことを申し上げたのかと思うけれど、また人がいれば、誤魔化すこともできるだろうがどうしようもない。帝が、柱に寄りかかって、少しうとうととお眠りになっておられるのを、(大納言・伊周)「あれを御覧なさい。今は夜も明けているのに、このようにおやすみになられていて良いのでしょうか」と中宮様に申し上げると、「本当に」など中宮様もお笑いになられるが帝は気づかれるご様子もない、長女(おさめ)の童女が、鶏を捕まえて持って来て、「朝に、里へ持って帰ろう」と言って、隠して置いたのが、どうしたのだろうか、犬が見つけて鶏を追いかけたので、廊の間木(まぎ)に逃げ込んで、激しく鳴いて騒ぐので、女房たちも皆、起きてしまったようである。

帝も、目をお覚ましになられて、(帝)「どうして迷い込んだ鶏なのか」など、お尋ねになられると、大納言様が、「声、明王の眠りを驚かす」という詩を、高々とした声で吟じなさったのが、素晴らしくて面白いので、私ごときの眠たかった目も、とても大きくパッチリと開いて目覚めてしまった。「本当にちょうど良い歌だ」と、帝も中宮も面白がっておられる。やはりこのようなやり取りは、素晴らしい。

その翌日の夜は、中宮様が夜の御殿(おとど)に参上なされた。夜中の頃に、廊下に出て召使いの人を呼ぶと、(大納言・伊周)「局に下がるのか。さて、送りましょう」とおっしゃると、裳(も)、唐衣(からぎぬ)は屏風にうち掛けて行くと、月がとても明るく、直衣が真っ白に見えるのに、指貫(さしぬき)を長く踏みしだいて、私の袖を捕まえて、(大納言)「転ぶな」と言って、連れていかれるまま、「遊子(ゆうし)なほ残りの月に行く」と吟じなさったのが、またとても素晴らしいのだ。(大納言)「こんなことに夢中になってしまう」と言って笑われているが、どうして、やはりこれを素晴らしいと思わずにいられるだろうか。

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[古文・原文]

298段

僧都(そうづ)の君の御乳母(おんめのと)のままなど、御匣殿(みくしげどの)の御局にゐたれば、男のある、板敷(いたじき)のもと近う寄り来て、「辛い目を見さぶらひて、誰にかは愁へ申しはべらむ」とて泣きぬばかりの気色にて、(清少納言)「何事ぞ」と問へば、「あからさまに、ものにまかりたりしほどに、侍る所の焼けはべりにければ、がうなのやうに、人の家に尻をさし入れてのみさぶらふ。馬寮(うまづかさ)の御秣(みまくさ)積みて侍りける家より出でまうで来てはべるなり。ただ垣を隔ててはべれば、夜殿(よどの)に寝て侍りける童(わらわべ)も、ほとほと焼けぬべくてなむ、いささか物も取う出はべらず」など言ひをるを、御匣殿も聞き給ひて、いみじう笑ひ給ふ。

(清少納言)みまくさを もやすばかりの 春のひに よどのさへなど 残らざるらむ

と書きて、「これを取らせ給へ」とて、投げやりたれば、笑ひののしりて、「このおはする人の、家焼けたなりとて、いとほしがりて賜ふなり」とて、取らせたれば、ひろげてうち見て、「これは、何の御短冊(ごたんざく)にか侍らむ。物いくらばかりにか」と言へば、「ただ読めかし」と言ふ。「いかでか、片目もあきつかうまつらでは」と言へば、「人にも見せよ。ただ今召せば、とみにて、上へまゐるぞ。さばかりめでたき物を得ては、何をか思ふ」とて、皆笑ひ惑ひのぼりぬれば、(乳母)「人にや見せつらむ。さと聞きていかに腹立たむ」など、御前にまゐりて、ままの啓すれば、また笑ひ騒ぐ。御前にも、「などかく物狂ほしからむ」と、笑はせ給ふ。

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[現代語訳]

298段

僧都(そうづ)の君の御乳母(おんめのと)などが、御匣殿(みくしげどの)の御局にいたところ、下男の一人が、縁側の板敷(いたじき)へと近く寄って来て、「ひどい目に遭いまして、誰にこの憂いを申し上げれば良いかと思いまして」と泣かんばかりの様子である、(清少納言)「何事か」と尋ねると、「ほんの少しの間、家を空けて外に出ていたところ、私の家が火事で焼けてしまいましたので、ヤドカリのように、人の家に尻をさし入れている情けない次第でございます。馬寮(うまづかさ)の干し草(馬の飼料)を積んでいた家から出火したようでございます。ただ垣を隔てただけの隣家ですので、寝室で寝ていた妻子も、危うく焼け死ぬところでして、まったく家財を取り出すことなどできませんでした」などと言っているのを、御匣殿もお聞きになられて、ひどくお笑いになっている。

(清少納言)みまくさを もやすばかりの 春のひに よどのさへなど 残らざるらむ(干し草を燃やすばかりの春の日に、夜殿にある財物など残るはずもない)

と書いて、「これをお与えなさい」と言って、投げてやると、女房たちは笑い騒いで、「ここにいらっしゃるお方が、お前の家が火事で焼けたということを聞いて、気の毒に思われて下さったのですよ」と言って、与えたところ、手紙を広げて見て、「これは、何を頂ける書付け(短冊)なのでしょうか。その物はいくらくらいのものなのでしょうか」と言うと、「ただ読めばいいじゃないの」と言う。「どうして、片目も開かないような私(文盲の私)に読めるでしょうか」と言うと、「人にでも見せなさい。ただ今すぐにと呼ばれているので、急いで、御殿へと参上するのです。そんなに素晴らしいものを頂いたのに、何を悩んでいるのか」と言って、皆で笑い転げながら参上したので、(乳母)「あの手紙を人に見せたでしょうか。そんな内容だったと聞いてどんなに腹を立てるでしょうか」など、御前に参上して乳母が申し上げると、また皆が笑い騒ぐ。中宮も、「どうしてこんなに物狂おしいのでしょう」と言って、お笑いになられる。

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