『源氏物語』の“紅葉賀”の現代語訳:6

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“参座しにとても、あまた所も歩き給はず、内裏、春宮、一院ばかり、さては、藤壺の三条の宮にぞ参り給へる~”を、このページで解説しています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

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[古文・原文]

参座しにとても、あまた所も歩き給はず、内裏、春宮、一院ばかり、さては、藤壺の三条の宮にぞ参り給へる。

「今日はまたことにも見え給ふかな」「ねび給ふままに、ゆゆしきまでなりまさり給ふ御ありさまかな」と、人びとめで聞こゆるを、宮、几帳の隙より、ほの見給ふにつけても、思ほすことしげかりけり。

この御ことの、師走も過ぎにしが、心もとなきに、この月はさりともと、宮人も待ち聞こえ、内裏にも、さる御心まうけどもあり、つれなくて立ちぬ。「御もののけにや」と、世人も聞こえ騒ぐを、宮、いとわびしう、「このことにより、身のいたづらになりぬべきこと」と思し嘆くに、御心地もいと苦しくて悩み給ふ。

中将君は、いとど思ひあはせて、御修法など、さとはなくて所々にせさせ給ふ。「世の中の定めなきにつけても、かくはかなくてや止みなむ」と、取り集めて嘆き給ふに、二月十余日のほどに、男御子生まれ給ひぬれば、名残なく、内裏にも宮人も喜び聞こえ給ふ。

[現代語訳]

源氏の君の参賀のご挨拶といっても、多くの所にはお出かけにならないで、内裏、春宮、一院だけ、その他は、藤壺の三条の宮にお参りされる。

「今日はまた格別にお綺麗に見えますね。」「ご成長されるにつれて、恐ろしいまでに美しくおなりのご様子ですね。」と、女房たちがお褒め申し上げているのを、宮は、几帳の隙間から、わずかに源氏の君のお姿を御覧になるにつけても、物思いをなさることが度々であった。

御出産の予定であった、十二月も過ぎてしまったのが、心配で、今月はいくら何でも産まれるだろうと、宮家の人々もお待ち申し上げ、帝も、そのお心づもりでいたが、何事もないまま過ぎてしまった。「御物の怪のせいだろうか。」と、世間の人々も噂しているのを、宮は、とてもつらくて、「この出産のために、命を落とすことになってしまいそうなこと。」と、思われてお嘆きになると、ご気分もとても苦しくてお悩みになられる。

中将の君(源氏の君)は、ますます思い当たって、御修法(加持祈祷)などを、それとなく事情は知らせずに、あちこちの寺におさせになる。「世の無常につけても、このままはかなく終わってしまうのだろうか。」と、あれこれお嘆きになっていると、二月十日過ぎの頃に、男の子がお生まれになったので、心配もなくなり、宮中でも宮家の人々もお喜び申し上げた。

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[古文・原文]

「命長くも」と思ほすは心憂けれど、「弘徽殿(こきでん)などの、うけはしげにのたまふ」と聞きしを、「むなしく聞きなし給はましかば、人笑はれにや」と思し強りてなむ、やうやうすこしづつさはやい給ひける。

主上の、いつしかとゆかしげに思し召したること、限りなし。かの、人知れぬ御心にも、いみじう心もとなくて、人まに参り給ひて、

「主上のおぼつかながり聞こえさせ給ふを、まづ見たてまつりて詳しく奏しはべらむ」と聞こえ給へど、

「むつかしげなるほどなれば」とて、見せたてまつり給はぬも、ことわりなり。さるは、いとあさましう、めづらかなるまで写し取り給へるさま、違ふべくもあらず。 宮の、御心の鬼にいと苦しく、「人の見たてまつるも、あやしかりつるほどのあやまりを、まさに人の思ひとがめじや。さらぬはかなきことをだに、疵(きず)を求むる世に、いかなる名のつひに漏り出づべきにか」と思しつづくるに、身のみぞいと心憂き。

命婦の君に、たまさかに逢ひ給ひて、いみじき言どもを尽くし給へど、何のかひあるべきにもあらず。若宮の御ことを、わりなくおぼつかながり聞こえ給へば、

「など、かうしもあながちにのたまはすらむ。今、おのづから見たてまつらせ給ひてむ」と聞こえながら、思へるけしき、かたみにただならず。かたはらいたきことなれば、まほにもえのたまはで、

「いかならむ世に、人づてならで、聞こえさせむ」とて、泣い給ふさまぞ、心苦しき。

[現代語訳]

「長生きを。」とお思いになるのは心苦しいことだけど、「弘徽殿(こきでん)などが、呪わしい感じでおっしゃっている。」と聞いたので、「死んだとお聞きになったならば、人に笑われるであろう」と、強くお思いになられて、段々と少しずつ気分が良くなっていかれたのだった。

帝が、早く子供を御覧になりたいと思われていることは、この上ない。あの、人知れず持っていたお気持ちとしても、源氏の君はひどく心配であり、人のいない時に藤壺の宮に参上して、

「帝がお子様を御覧になりたいと思われていますので、まず拝見して詳しく奏上しましょう。」と申し上げたけれど、

「(産まれたばかりで)まだ醜くて見苦しい程ですので」といって、お見せにならないのも、もっともなことではある。実際、とても驚くほどに、珍しいまでに生き写しで(源氏の君に)似ていらっしゃるお姿、違っているはずもない。宮が、良心の呵責にとても苦しんでいて、「女房たちが拝見しても、怪しく思っていた出産月のずれを、どうしておかしいことだと思い当たらないだろうか。それほどでもないつまらないことでさえも、欠点を探そうとする世の中で、どのような噂が遂には世に漏れてしまうだろうか。」と思い続けられると、わが身だけがとても心苦しい。

命婦の君に、たまにお会いになって、心情を伝える言葉を尽くしてお頼みになられるが、何の効果があるわけでもない。若宮のことを、この上なく御覧になりたいのだと強く申し上げなされるので、

「どうして、こうまでも無理に会わせろと強くおっしゃられるのでしょうか。そのうち、自然に御覧になれる時があるでしょうに。」と申し上げながら、悩んでいるご様子、お互いに一通りのものではない。気が引けるようなことなので、正面からはまともにおっしゃれず、

「いつの世になったら、人づてではなくて直接、お話しをすることができるのだろう。」と言って、泣かれている源氏の君の姿が、(命婦にも)心苦しい。

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[古文・原文]

「いかさまに 昔結べる 契りにて この世にかかる なかの隔てぞ かかることこそ 心得がたけれ」とのたまふ。

命婦も、宮の 思ほしたるさまなどを見たてまつるに、 えはしたなうもさし放ちきこえず。

「見ても思ふ 見ぬはたいかに 嘆くらむ こや世の人の まどふてふ闇 あはれに、心ゆるびなき御ことどもかな」と、忍びて聞こえけり。

かくのみ言ひやる方なくて、帰り給ふものから、人のもの言ひもわづらはしきを、わりなきことにのたまはせ思して、命婦をも、昔おぼいたりしやうにも、うちとけむつび給はず。人目立つまじく、なだらかにもてなし給ふものから、心づきなしと思す時もあるべきを、いとわびしく思ひのほかなる心地すべし。

[現代語訳]

「どのように、前世で契りを結んだ縁で、この世にこのような二人の仲の隔てが生まれたのだろうか。このような隔ては、納得がいかないものよ。」と源氏の君はおっしゃるのである。

命婦も、宮の悩んでいらっしゃる様子などを拝見しているので、冷たく突き放してしまうようなこともできない。

「見ている方も物思いをされています。見ておられないあなたは、どんなにお嘆きでしょう。これが世の人がいう親心の闇でしょうか。哀れなことです。お心の休まらない男女お二人というのは。」とこっそり返事を差し上げたのだった。

このように何とも申し上げる手段もなくて、源氏の君はお帰りになられるものの、世の人々の噂も煩わしいので、無理なことをおっしゃって不審に思われないか、命婦をも、前に信頼していたようには打ち解けず、お近づけにならない。人目に立たないように、穏やかにもてなされる一方で、命婦のことを気にいらないとお思いになる時もあるはずなので、とても情けなくてつらいなと、思ってもみなかった心地もするようである。

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