『竹取物語』の原文・現代語訳20

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『竹取物語』は平安時代(9~10世紀頃)に成立したと推定されている日本最古の物語文学であり、子ども向けの童話である『かぐや姫』の原型となっている古典でもあります。『竹取物語』は、『竹取翁の物語』『かぐや姫の物語』と呼ばれることもあります。竹から生まれた月の世界の美しいお姫様である“かぐや姫”が人間の世界へとやって来て、次々と魅力的な青年からの求婚を退けるものの、遂には帝(みかど)の目にも留まるという想像力を駆使したファンタジックな作品になっています。

『竹取物語』は作者不詳であり成立年代も不明です。しかし、10世紀の『大和物語』『うつほ物語』『源氏物語』、11世紀の『栄花物語』『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られることから、10世紀頃までには既に物語が作られていたと考えられます。このウェブページでは、『これを聞きて、かぐや姫は、「さしこめて守り戦ふべきしたくみをしたりとも~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。

参考文献
『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),室伏信助『新装・竹取物語』(角川ソフィア文庫),阪倉篤義 『竹取物語』(岩波文庫)

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[古文・原文]

これを聞きて、かぐや姫は、『さしこめて守り戦ふべきしたくみをしたりとも、あの国の人を、え戦わぬなり。弓矢して射られじ。かくさしこめてありとも、かの国の人来ば、みな開きなむとす。相戦はむことすとも、かの国の人来(き)なば、猛き心つかふ人も、よもあらじ』

翁の言ふやう、『御迎へに来む人をば、長き爪して眼をつかみつぶさむ。さが髪を取りてかなぐり落とさむ。さが尻をかき出でて、ここらの朝廷人(おほやけびと)に見せて、恥を見せむ』と腹立ち居る。

[現代語訳]

このおじいさんと兵士の話を聞いて、かぐや姫は、『私を物置部屋の中に隠して防戦する作戦を立てたとしても、あの月の国の人とは、まともに戦う事はできないでしょう。弓矢で射ることができないのです。このように私を厳重に閉じ込めていても、あの月の国の人がやって来たら、全て戸が開いてしまうでしょう。いくら相手と戦おうとしても、月の国の人が来たら、勇ましい戦う心を発揮できる人も、一人もいなくなるでしょう。』と言った。

おじいさんは、『迎えにやって来る天人を、長い爪で目玉を掴んで潰してやる。相手の髪を掴んで、空から引きずり落としてやる。その尻を出させて、ここにいる朝廷の兵士たちに見せて、恥を掻かせてやろう。』と怒り狂いながら言った。

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[古文・原文]

かぐや姫言はく、『声高になのたまひそ。屋の上に居る人どもの聞くに、いとまさなし。いますがりつる心ざしどもを思ひも知らで、まかりなむずることの口惜しう侍りけり。長き契りのなかりければ、ほどなくまかりぬべきなめりと思ひ、悲しく侍るなり。親たちの顧みをいささかだに仕うまつらで、まからむ道も安くもあるまじきに、日頃も出で居て、今年ばかりの暇を申しつれど、更に許されぬによりてなむ、かく思ひ嘆き侍る。御心をのみ惑はして去りなむことの悲しく堪へがたく侍るなり。

かの都の人は、いとけうらに、老いをせずなむ。思ふこともなく侍るなり。さる所へまからむずるも、いみじく侍らず。老い衰へ給へるさまを見奉らざらむこそ恋しからめ』と言ひて、翁、『胸いたきこと、なし給ひそ。うるはしき姿したる使ひにも障らじ』とねたみ居り。

[現代語訳]

かぐや姫は、『そんな大声でおっしゃらないで下さい。屋根の上にいる人たちに、聞かれたら恥ずかしいです。今までのあなたの優しいお心も知らないで、月に帰ってしまう事が残念でなりません。長く過ごすという約束が無かったので、間もなく帰っていかなければならないと思い、悲しく思っています。両親であるあなたたちのお世話を全くしないで、帰らなければならない道中は心安らかではないのですが、この数日間は縁側に出て座って、今年一年の帰国の延期を申し出たのですが、全くその願いは許可されませんでした。それでこのように思い嘆いているのです。あなたたちのお心を惑わせるばかりで帰っていくことは、悲しくて堪えきれない事なのです。

あの月の都の人は、とても美しくて年を取ることもないのです。思い悩むこともありません。そのような所へ帰っていくのは、楽しい事ではありません。年を取って衰えたあなたたちの面倒を見ることができないのが心残りです。』と言った。翁(おじいさん)は、『胸が痛くなるような事をおっしゃいますな。美しい姿をした月の国の使者が来ても、姫を守る邪魔などさせない。』と怒っていた。

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