日本国憲法 第一一章 補則 第100条〜第103条

アメリカ合衆国や中国と戦った『アジア太平洋戦争』に敗れた日本は、1945年(昭和20年)8月15日に『日本軍の無条件降伏・日本の民主主義的政体(国民主権)の強化・基本的人権の尊重・戦争を起こさない平和主義』などを要求する『ポツダム宣言』を受諾した。明治期の1889年(明治22年)に公布された『大日本帝国憲法』は立憲君主制を規定する近代的な欽定憲法(君主・元首が作成する憲法)であったが、『天皇主権(天皇の大権事項)・国民を臣民(家臣)とする天皇への従属義務・国家主義による人権の制限可能性・国体思想による言論出版の自由の弾圧』などがあり、アメリカが日本に要求する近代的な自由民主主義や個人の人権保護とは相容れない欽定憲法であった。

ポツダム宣言受諾の無条件降伏によって、日本政府はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の助言と監督を受けながら、『憲法改正草案要綱』を作成して大日本帝国憲法73条の憲法改正手続の条文に従った上で、1946年(昭和21年)11月3日に現行の『日本国憲法』を公布し、翌1947年(昭和22年)5月3日に施行した。1946年(昭和21年)5月16日に開かれた『第90回帝国議会』で、日本国憲法は審議を受けているため、GHQが無理矢理に押し付けた憲法というよりは、日本が『敗戦の講和条件・厭戦(疲弊)と平和希求の民意』に従って正規の手続きを経て改正された憲法である。

日本国憲法は『個人の尊厳原理』に立脚することで、国家主義(全体主義)や専制権力の抑圧から国民を守る立憲主義の構成を持っており、『国民主権・基本的人権の尊重・平和主義(戦争放棄)』の基本的な三原則(三大要素)を掲げている。天皇は天皇大権(政治権力)を持たずに国民統合の象徴になるという『象徴天皇制+国民主権(民主主義)』が採用され、国民はすべて個人として尊重され各種の憲法上の権利(自由権)が保障されるという『基本的人権の尊重』が謳われた。過去の戦争の惨禍に学び、戦争の放棄と軍隊(戦力)の不保持を宣言する『平和主義』も掲げられた。

ここでは、『日本国憲法』の条文と解釈を示していく。

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『日本国憲法』(小学館),『日本国憲法』(講談社学術文庫),伊藤真『日本国憲法』(ハルキ文庫),『英文対訳日本国憲法』(ちくま学芸文庫)

第一一章 補則

第一○○条

1.この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。

2.この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び国会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。

第一○一条

この憲法施行の際、参議院がまだ成立してゐないときは、その成立するまでの間、衆議院は、国会としての権限を行ふ。

[解釈]

第100条は、日本国憲法が公布された日から六ヶ月後以降に、この憲法が施行されるという施行期日について述べた条文である。

第101条は、日本国憲法の経過規定であり、参議院が成立していない間は衆議院が一院制の権限を振るえるという臨時措置を定めている。

第一一章 補則(続き)

第一○二条

この憲法による第一期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを三年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。

第一○三条

この憲法施行の際現に在職する国務大臣、衆議院議員及び裁判官並びにその他の公務員で、その地位に相応する地位がこの憲法で認められてゐる者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失ふことはない。但し、この憲法によつて、後任者が選挙又は任命されたときは、当然その地位を失ふ。

[解釈]

第102条は、憲法施行後の第一期となる参議院議員の任期について定めたものであり、初めに選ばれた参議院議員のうち半分の者の任期は3年に短縮されるとしている。

第103条は、憲法施行前の現職の国務大臣・衆議院議員・裁判官・公務員の身分を保障したものであり、憲法に基づいて後任者が新たに選挙され任命されない限りは当然にその地位を失うというわけではないと定めている。第100条から第103条までの『補則』は、日本国憲法が公布・施行される時の準備手続きや経過規定について分かりやすく書き残していたもので、現代ではそれらが適用されることはもうないが、『戦後日本における日本国憲法の歴史の始まり』を振り返ることのできる条文ではある。

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