『源氏物語』の“葵”の現代語訳:13

スポンサーリンク

紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“こなたかなたの御送りの人ども、寺々の念仏僧など、そこら広き野に所もなし~”を、このページで解説しています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

楽天AD

[古文・原文]

こなたかなたの御送りの人ども、寺々の念仏僧など、そこら広き野に所もなし。院をばさらにも申さず、后の宮、春宮などの御使、さらぬ所々のも参りちがひて、飽かずいみじき御とぶらひを聞こえ給ふ。大臣はえ立ち上がりたまはず、

「かかる齢の末に、若く盛りの子に後れたてまつりて、もごよふこと」と恥ぢ泣き給ふを、ここらの人悲しう見たてまつる。夜もすがらいみじうののしりつる儀式なれど、いともはかなき御屍ばかりを御名残にて、暁深く帰り給ふ。

常のことなれど、人一人か、あまたしも見給はぬことなればにや、類ひなく思し焦がれたり。八月二十余日の有明なれば、空もけしきもあはれ少なからぬに、大臣の闇に暮れ惑ひ給へるさまを見給ふも、ことわりにいみじければ、空のみ眺められ給ひて、

「のぼりぬる 煙はそれと わかねども なべて雲居の あはれなるかな」

殿におはし着きて、つゆまどろまれ給はず。年ごろの御ありさまを思し出でつつ、

[現代語訳]

あちらこちらのご葬送の人々、寺々の念仏僧などが、とても広い野辺に隙間もなく集まっている。院からは今さら申すまでもなく、后の宮、東宮などのご弔問の使い、その他の所々の使者も交代で参って、尽きることのない悲嘆のご弔問を申し上げられる。(葵の君の父親の)大臣は立ち上がることもできず、

「こんな晩年になって、若い盛りの娘に先立たれてしまい、よろよろと這いずり回っていることよ」と恥じて泣いておられるのを、大勢の人たちが悲しみながら見ている。一晩中、非常に騒がしくなっている盛大な葬儀だが、本当にはかなくなったご遺骨だけを後に残して、夜明け前にお帰りになる。

(人が死ぬのは)世の常ではあるが、人一人を見送った経験しかない源氏の君は、多くの人の死は御覧になっていないから、譬えようもないほどに思い悩んで苦しまれた。八月二十日余りの有明の頃で、空も風情も趣き深く感じられるときで、大臣が闇に悲しみの闇に沈んで取り乱しておられるさまを御覧になるのも、当然のことではあるが痛ましく、空ばかりをお眺めになられて、

「(火葬にして)空にのぼった煙は雲と混ざって区別がつかないが、どの雲を眺めてもしみじみとした気持ちになってしまうことよ」

殿にお帰りになってもまったく眠ることができない。年来の夫婦生活のご様子を思い出しになられながら、

スポンサーリンク

[古文・原文]

「などて、つひにはおのづから見直し給ひてむと、のどかに思ひて、なほざりのすさびにつけても、つらしと おぼえられたてまつりけむ。世を経て、疎く恥づかしきものに思ひて過ぎ果て給ひぬる」など、悔しきこと多く、 思しつづけらるれど、かひなし。にばめる御衣たてまつれるも、夢の心地して、「われ先立たましかば、深くぞ染めたまはまし」と、思すさへ、

「限りあれば薄墨衣 浅けれど 涙ぞ袖を 淵となしける」とて、念誦したまへるさま、いとどなまめかしさまさりて、経忍びやかに誦み給ひつつ、

「法界三昧普賢大士」とうちのたまへる、行ひ馴れたる法師よりはけなり。若君を見たてまつり給ふにも、「何に忍ぶの」と、いとど露けけれど、「かかる形見さへなからましかば」と、思し慰む。

宮はしづみ入りて、そのままに起き上がり給はず、危ふげに見え給ふを、また思し騒ぎて、御祈りなどせさせたまふ。

はかなう過ぎゆけば、御わざのいそぎなどせさせたまふも、思しかけざりしことなれば、尽きせずいみじうなむ。なのめにかたほなるをだに、人の親はいかが思ふめる、ましてことわりなり。また、類ひおはせぬをだに、さうざうしく思しつるに、袖の上の玉の砕けたりけむよりも、あさましげなり。

楽天AD

[現代語訳]

「どうして、最後は自然と自分の愛を分かってくれようと、のんびり思って、かりそめの浮気につけても、妻につらい思いをさせてしまった。結婚生活の月日を経る中で、親しみのない信頼されない関係のままで、妻は亡くなってしまったのだ」など、悔やむことは多く、いろいろなことを思い出されるが、どうしようもない。鈍色(にびいろ)の喪服をお召しになるのも、夢のような気分がして、「自分が先立ったのであれば、色は濃くお染めになられただろうに」と思われることまでが、

「慣習があるから薄墨色の喪服を着ているが、涙で袖は淵のように深く濃い色の悲しみで濡れている」と詠んで、念仏を読経されている様子、ますます優美な雰囲気が強まって、お経を小さな声で読みながら、

「法界三昧普賢大士」とお唱えになるのは、お勤めに慣れている法師よりも尊く感じられる。若君を見るにつけても、「結び置くかたみの子だになかりせば何に忍ぶの草を摘ままし」という古歌が思い出されて、ますます涙がこぼれてくるが、「このような形見となる子までいなかったら」と、思って心を慰められる。

(大臣の妻に当たる)宮様は沈み込んで、そのまま起き上がることもできず、命さえも危なそうに見えるので、また亡くなるのではと騒ぎになって、法師たちにご祈祷などをさせておられる。

とりとめもなく月日が過ぎていく、娘の49日(法事)の準備などをおさせになられるのも、思ってもいなかったことで、悲しみは尽きずにつらいものである。取るに足りない出来の悪い子供でさえ、人の親はその死をどんなに辛く思うことだろう、まして貴族の娘として優れていた娘ならば悲しみは当然である。また、他の姫君がいらっしゃらないことさえ、寂しいことだと思われていたのに、袖の上の玉が砕けたことよりも 残念なことに思われている。

スポンサーリンク

[古文・原文]

大将の君は、二条院にだに、あからさまにも渡り給はず、あはれに心深う思ひ嘆きて、行ひをまめにしたまひつつ、明かし暮らし給ふ。所々には、御文ばかりぞたてまつり給ふ。

かの御息所は、斎宮は左衛門の司に入り給ひにければ、いとどいつくしき御きよまはりにことつけて、聞こえも通ひ給はず。憂しと思ひ染みにし世も、なべて厭はしうなりたまひて、「かかるほだしだに添はざらましかば、願はしきさまにもなりなまし」と思すには、まづ対の姫君の、さうざうしくてものしたまふらむありさまぞ、ふと思しやらるる。

夜は、御帳の内に一人臥し給ふに、宿直の人びとは近うめぐりてさぶらへど、かたはら寂しくて、「時しもあれ」と寝覚めがちなるに、声すぐれたる限り選りさぶらはせたまふ念仏の、暁方など、忍びがたし。

「深き秋の あはれまさりゆく 風の音 身にしみけるかな」と、ならはぬ御独寝に明かしかねたまへる朝ぼらけの霧りわたれるに、菊のけしきばめる枝に、濃き青鈍の紙なる文つけて、さし置きて往にけり。「今めかしうも」とて、見たまへば、御息所の御手なり。

楽天AD

[現代語訳]

大将の君(源氏の君)は、二条院にさえ、ほんの少しの間も行くことがなく、しみじみと心深くお嘆きになられていて、仏教の勤行を生真面目にしながら、日夜をお過ごしになられる。所々の恋人には、お手紙だけを差し上げている

あの六条の御息所には、斎宮は左衛門の司にお入りになられたので、ますます厳しいご潔斎を理由にして、お手紙のやり取りもされない。嫌だなと本心から感じられた世の中も、すべて厭わしくなって、「このような幼い子供さえいなかったら、願い通りに出家するのに」とお思いになるが、まずは対の姫君が寂しくしておられる様子を、ふと思いやってしまう。

夜は御帳台の中に独りでおやすみになる、宿直の女房たちは近くで囲んで仕えてくれているが、独り寝は寂しくて、「時しもあれ秋やは人の別るべき有るを見るだに恋しきものを」の古歌のような気持ちで寝覚めがちで、声の良い僧侶ばかりを選んで詠ませている念仏が、明け方になると耐えがたく感じる。

「秋が深まり情趣を増していく風の音が、身にしみて感じられることよ」と、慣れない独り寝に、明けかねている朝ぼらけの霧が立ちこめている時、菊の咲きかけた枝に、濃い青鈍色の紙の文をつけて、少し置いて去っていった。「今風の優美な感じだな」と思って御覧になると、六条御息所のご筆跡である。

スポンサーリンク
楽天AD
Copyright(C) 2022- Es Discovery All Rights Reserved