『源氏物語』の“葵”の現代語訳:14

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“「聞こえぬほどは、思し知るらむや。人の世をあはれと聞くも露けきに後るる袖を思ひこそやれ~”を、このページで解説しています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

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[古文・原文]

「聞こえぬほどは、思し知るらむや。人の世を あはれと聞くも 露けきに 後るる袖を 思ひこそやれ ただ今の空に 思ひたまへ あまりてなむ」とあり。

「常よりも優にも書いたまへるかな」と、さすがに置きがたう見たまふものから、「つれなの御弔ひや」と心憂し。さりとて、かき絶え音なう聞こえざらむもいとほしく、人の御名の朽ちぬべきことを思し乱る。

「過ぎにし人は、とてもかくても、さるべきにこそはものしたまひけめ、何にさることを、さださだとけざやかに見聞きけむ」と悔しきは、わが御心ながら、なほえ思し直すまじきなめりかし。

「斎宮の御きよまはりもわづらはしくや」など、久しう思ひわづらひ給へど、「わざとある御返りなくは、情けなくや」とて、紫のにばめる紙に、

[現代語訳]

「お手紙を差し上げなかった間の事情は、察していただけたでしょうか。人の世の無常を聞くにつけて、涙がこぼれてしまいます。愛する人に先立たれたあなたは、お袖を濡らすほどのお気持ちであろうと思いやっています。ちょうど今朝の空を見て、手紙を書きたい思いを抑えかねまして」とある。

「いつもよりも優美な感じでお書きになられているな」と、やはり下にも置きにくい気持ちで御覧になるものの、「つれない(そっけない)ご弔問だ」と嫌な気分になる。そうかといって、お返事を返さずに絶縁するもお気の毒であり、相手の名誉を傷つけることにもなってしまうと、源氏の君は思い迷われている。

「亡くなった人は、いずれにしても、そうなるべき運命だったのだろうが、どうしてあのようなことを(六条御息所の生霊を)、リアルな感じではっきりと見たり聞いたりしたのだろうか」と悔しいのは、ご自分の気持ちながら、やはり思い直すことはできないようである。

「斎宮のご潔斎のご迷惑にならないだろうか」など、長くお考えになって迷っておられるが、「わざわざ下さった手紙に返事を差し上げないのは、情がないのではないか」と思って、紫色の鈍色(灰色)がかった紙に、

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[古文・原文]

「こよなうほど経はべりにけるを、思ひ給へおこたらずながら、つつましきほどは、さらば、思し知るらむやとてなむ。

とまる身も 消えしもおなじ 露の世に 心置くらむ ほどぞはかなき

かつは思し消ちてよかし。 御覧ぜずもやとて、誰れにも」と聞こえ給へり。

里におはするほどなりければ、忍びて見たまひて、ほのめかし給へるけしきを、心の鬼にしるく見給ひて、「さればよ」と思すも、いといみじ。

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[現代語訳]

「長らくご無沙汰していましたが、いつも心にお掛け申し上げていながら、自粛する喪中は、そのようなわけで、お察ししていただけるかと思いまして。

生き残った者も死んだ者も同じ露のようにはかない存在であるこの世に、執着の心を残して置くことに意味はありません。

お互いに執着心を捨てられたほうが良いでしょう。喪中の手紙などは御覧いただけないだろう、どなたにも」とお手紙を差し上げた。

六条の御息所が里にいらっしゃる時だったので、ひそかに御覧になって、ほのめかしておっしゃっている様子を、内心では負い目に感じていることがあったのではっきりと見られて(理解されて)、「やはりそうだったのか」と思われるにつけ、とてもつらい。

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[古文・原文]

「なほ、いと限りなき身の憂さなりけり。かやうなる聞こえありて、院にもいかに思さむ。故前坊の、同じき御はらからと言ふなかにも、いみじう思ひ交はしきこえさせ給ひて、この斎宮の御ことをも、ねむごろに聞こえつけさせ給ひしかば、『その御代はりにも、やがて見たてまつり扱はむ』など、常にのたまはせて、『やがて内裏住みし給へ』と、たびたび聞こえさせ給ひしをだに、いとあるまじきこと、と思ひ離れにしを、かく心よりほかに若々しきもの思ひをして、つひに憂き名をさへ流し果てつべきこと」と、思し乱るるに、なほ例のさまにもおはせず。

さるは、おほかたの世につけて、心にくくよしある聞こえありて、昔より名高くものしたまへば、野の宮の御移ろひのほどにも、をかしう今めきたること多くしなして、「殿上人どもの好ましきなどは、朝夕の露分けありくを、そのころの役になむする」など聞き給ひても、大将の君は、「ことわりぞかし。ゆゑは飽くまでつきたまへるものを。もし、世の中に飽き果てて下り給ひなば、さうざうしくもあるべきかな」と、さすがに思されけり。

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[現代語訳]

「やはり、とてもこれ以上はない情けない身の上であった。このような生霊の噂が広まって、院もどのように思われるであろう。故前坊の、同腹のご兄弟である中でも、お互いに親しく交流されていて、この斎宮のことをも、細々としたことまでお頼み申し上げていたので、『その代わりに、そのままお世話をして差し上げよう』などと、いつもおっしゃられて、『そのまま宮中に住みなさい』と、何度もお勧め申し上げたことだけでも、本当に畏れ多いことである、と思ってもいなかったのに、このように意外にも若者のような恋の物思いをして、遂には名誉を失墜させる生霊の噂まで流してしまったこと」と、思い悩まれるが、やはりいつもの健康状態ではなかった。

とはいえ、世間一般における評判では、奥ゆかしい性格で教養の豊かな女性とされていて、昔から高名でいらっしゃったので、野の宮にお移りの時にも、趣きのある今風のことを多くお考えになられて、「殿上人の中で風流な者などは、朝に夕に露を分けて訪れるのを、この頃の仕事にしている」などとお聞きになっても、大将の君(源氏の君)は、「もっともなことである。風流・風雅を解することにおいては、どこまでも優れている方である。もし、愛想を尽かして地方(伊勢)にお下がりになってしまわれたら、どんなに寂しく感じてしまうだろうか」と、やはり思われるのであった。

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