『竹取物語』の原文・現代語訳23

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『竹取物語』は平安時代(9~10世紀頃)に成立したと推定されている日本最古の物語文学であり、子ども向けの童話である『かぐや姫』の原型となっている古典でもあります。『竹取物語』は、『竹取翁の物語』『かぐや姫の物語』と呼ばれることもあります。竹から生まれた月の世界の美しいお姫様である“かぐや姫”が人間の世界へとやって来て、次々と魅力的な青年からの求婚を退けるものの、遂には帝(みかど)の目にも留まるという想像力を駆使したファンタジックな作品になっています。

『竹取物語』は作者不詳であり成立年代も不明です。しかし、10世紀の『大和物語』『うつほ物語』『源氏物語』、11世紀の『栄花物語』『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られることから、10世紀頃までには既に物語が作られていたと考えられます。このウェブページでは、『かくあまたの人を賜ひて留めさせ給へど、許さぬ迎へまうで来て~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。

参考文献
『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),室伏信助『新装・竹取物語』(角川ソフィア文庫),阪倉篤義 『竹取物語』(岩波文庫)

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[古文・原文]

かくあまたの人を賜ひて留めさせ給へど、許さぬ迎へまうで来て、取り率て(ゐて)まかりぬれば、口惜しく悲しきこと。宮仕へ仕うまつらずなりぬるも、かく煩はしき身にて侍れば。心得ずおぼし召されつらめども。心強く承らずなりにしこと、なめげなる者におぼしめしとどめられぬるなむ、心にとまり侍りぬる。とて、

いまはとて 天の羽衣 着る折ぞ 君をあはれと 思ひ出でける

とて、壺の薬添へて、頭中将(とうのちゅうじょう)を呼び寄せて奉らす。中将に、天人取りて伝ふ。中将取りつれば、ふと天の羽衣うち着せ奉りつれば、翁をいとほし、かなしとおぼしつることも失せぬ。この衣着つる人は、物思ひなくなりにければ、車に乗りて百人ばかり天人具して昇りぬ。

[現代語訳]

(帝への手紙の内容は)このように大勢の兵士を派遣して下さって、私を引き留めようとしておられますが、この国に居ることを許さない月の国の迎えがやって来て、私を連れて行こうとしますので、残念で悲しく思っています。宮仕えをしないままになってしまったのも、このような煩わしい身の上だったからなのです。勅命に逆らって物事の道理を心得ない者だと思われたでしょうけど。強情に命令を受け入れなかったことで、無礼な者だと思われてその印象を残してしまったことが、今でも心残りとなっております。と書いて、

今はもうこれまでと思い、(地上での人間らしい感情をすべて無くしてしまうことになる)天の羽衣を着るのですが、地上の帝であるあなたのことをしみじみと思い出しております。

と歌を詠んで、その手紙に壺の不死の薬を添えて、頭中将を呼び寄せて帝に献上した。天人が受け取って中将へと渡したのである。中将が受け取ると、天人は素早く天の羽衣をかぐや姫に着せた。すると、翁を愛おしい、可哀想だという心も消えてしまった。この天の羽衣を着たかぐや姫は、人間らしい物思いの感情が無くなったので、飛ぶ車に乗って百人ほどの天人を引き連れて天へと昇っていった。

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[古文・原文]

その後、翁嫗、血の涙を流して惑へどかひなし。あの書き置きし文を読みて聞かせけれど、『何せむにか命も惜しからむ。誰が為にか。何ごとも益なし』とて、薬も食はず、やがて起きもあがらで病み臥せり。

中将、人々引き具して帰り参りて、かぐや姫をえ戦ひ留めずなりぬる、こまごまと奏す。薬の壺に御文添へて参らす。広げて御覧じて、いとあはれがらせ給ひて、物も聞こしめさず、御遊びなどもなかりけり。大臣上達部(かんだちべ)を召して、『何れの山か、天に近き』と問はせ給ふに、ある人奏す、『駿河の国にあるなる山なむ、この都も近く、天も近く侍る』と奏す。これを聞かせ給ひて、

あふことも 涙に浮かぶ わが身には 死なぬ薬も 何にかはせむ

かの奉る不死の薬に、また、壺具して御使ひに賜はす。勅使には、調石笠(つきのいわかさ)といふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂に持てつくべき由仰せ給ふ。峰にてすべきやう教へさせ給ふ。御文、不死の薬の壺並べて、火をつけて燃やすべき由仰せ給ふ。

その由承りて、兵(つわもの)どもあまた具して山へ登りけるよりなむ、その山を『ふじの山』とは名付けける。その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ言ひ伝へたる。

[現代語訳]

その後、おじいさんとおばあさんは、血の涙を流して嘆き悲しんだが、どうしようもない。かぐや姫が書き残していった手紙を読んで聞かせたけど、『どうしてこの命を惜しむことがあろうか。誰のためにか。何をしても意味がない。』と言って、薬も飲まず、起き上がらなくなって病気になり寝込んでしまった。

中将は、翁の屋敷から兵士たちを引き上げさせ、かぐや姫を引き止めるために戦おうとしたが戦うことができなかった事情を、細かく詳細に帝へと報告した。不死の薬の壺に、かぐや姫の手紙を添えて献上した。帝は手紙を広げて読んで、とても気持ちを揺さぶられて、食事も喉を通らず、音楽や舞踊の遊びもしなかった。帝は大臣・高官を呼び寄せて、『どこの山が一番天に近いのか。』と尋ねると、その中の一人が、『駿河国にあるという山が、この都にも近くて、天にも近くてございます。』とお答えした。これを聞いた帝は、

もうかぐや姫に会うことができず、流れる涙に浮かんでいるようなわが身にとって、不死の薬などがいったい何の役に立つというのだろうか。

帝はかぐや姫が送ってくれた不死の薬の壺に手紙を添えて、使者に渡してしまった。調石笠という人を呼び出して勅使に任命し、駿河国にあるという高い山にこの薬の壺を持っていくようにと命令した。そして山頂ですべきことを教えたのである。手紙と不死の薬の壺とを並べて、火をつけて燃やすようにと命じた。

命令を承った調石笠が、大勢の兵士を引き連れて山に登ったので、その山を『富士の山(大勢の兵士に富んでいる山)』と名付けたのである。山頂で焼いた煙は、今もまだ雲の中に立ち昇っていると言い伝えられている。

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