22.文屋康秀 吹くからに〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『文屋康秀 吹くからに〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

吹くからに 秋の草木の しほるれば むべ山風を あらしといふらむ

文屋康秀(ふんやのやすひで)

ふくからに あきのくさきの しおるれば むべやまかぜを あらしというらん

吹きつけるとすぐに秋の草木が萎れてしまうので、それで山から吹き降りてくる山風のことを『荒らし(嵐)』というのだろう。

[解説・注釈]

文屋康秀(生没年不詳)は、37番の文屋朝康の父とされる人物だが、詳細な事績は伝えられておらず六歌仙の一人に分類されている。この和歌は、言葉遊び(漢字の分解)の要素が強い中国の『離合詩(りごうし)』の影響を受けた歌であり、山風の『山』と『風』の言葉を分解してそれを合体させると『嵐(あらし)』になるではないかという素朴な驚きと知的な発見を歌にしている。

山から強く吹き寄せてくる風が草木を萎れさせていくという『自然現象』を見た文屋康秀は、『嵐』という漢字の起源として“(草木を)荒らし”と“山+風=嵐”を着想してその感動を歌にしたのである。『自然の現象』と『人間の文化(漢字)』との偶発的であるように見えて必然的な一致に、文屋康秀は当時のインテリらしい知的な発見の興趣・面白さを感じたのではないかと思われる。

一つの漢字を分解したりくっつけたりして、言葉の意味や起源を考えさせる言葉遊びの『離合詩』は、日本の和歌・短歌にも少なからず見られる。

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