27.中納言兼輔 小倉山〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『27.中納言兼輔 小倉山〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ

中納言兼輔(ちゅうなごんかねすけ)

みかのはら わきてながるる いずみがわ いつみきとてか こいしかるらん

みかの原を分けて湧き出ている泉川、その川の名前の『いつ』ではないが、『あの方をいつ見たのだろうか』と感じて恋しい気持ちになってしまうのだろうか。

[解説・注釈]

中納言兼輔とは藤原兼輔(ふじわらのかねすけ,877〜933)のことであり、三十六歌仙の一人として数えられている。加茂川の近くの堤に兼輔の邸宅が建てられていたことから、『堤中納言』とも呼ばれる。57番の紫式部の曽祖父に当たる人物だが、この歌は兼輔本人が詠んだ歌ではない可能性が高く、『新古今和歌集』の歌を選ぶ際に間違って兼輔の歌にされたのではないかと考えられている。

『みかの原』というのは、現在の京都府木津川市に当たる地域にあった地名で、聖武天皇が恭仁宮という都を置いたこともある土地。みかの原は『三日原(瓶原)』という漢字で表記されていた。

『いづみ川(泉川)』とは木津川のことであり、この木津川の両岸に『みかの原(瓶原)』が広がっているのだが、この歌では『わきて』に“分きて”と“湧きて”の言葉が掛けられている。みかの原をかき分けるようにして溢れ出てくる川の流れ、相手のことを愛しく思って仕方がない気持ちの高ぶりが重ね合わせられるようにして詠まれている。

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