32.春道列樹 山川に〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『32.春道列樹 山川に〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます)
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり

春道列樹(はるみちのつらき)

やまがわに かぜのかけたる しがらみは ながれもあえぬ もみじなりけり

山の中を流れる川に、風がかけていったしがらみとは、流れ切ることのない紅葉のことであったのだな。

[解説・注釈]

春道列樹(はるみちのつらき,生年不詳‐920頃)は平安前期の歌人だが、壱岐守に任命されるも現地に赴任する前に死去したと伝えられている。この和歌は『古今和歌集 秋下303番詞書』にある『志賀の山越え』をテーマにして詠われたものである。

『志賀の山越え』とは、志賀寺と呼ばれた崇福寺の参拝ルートであり桜の名所として有名であった。京都の北白川から山中峠を越えて、志賀の里(滋賀県大津市)に抜ける山道のことを指している。この歌にある『しがらみ』というのは抽象的な束縛や障害としてのしがらみの意味もあるが、元々は川の流れをせき止めるために木や竹作られた『柵』のようなもののことであった。

『物理的なしがらみ(柵)』は人間が作成する人為を意味するが、ここでは『風が川面に吹き散らした紅葉』のことを風が作成した自然の美として詩情的に表現しているのである。川の中に溜まっていく紅葉を見て、『自然が生み出した柵(しがらみ)=風が作り出したしがらみ』のようだというしみじみとした趣きを感じている。

Copyright(C) 2013- Es Discovery All Rights Reserved