30.壬生忠岑 有明の〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『30.壬生忠岑 有明の〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし

壬生忠岑(みぶのただみね)

ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし

有明の月がつれなく見えて(心ないように見えて)、あなたがつれなく見えた別れの時から、暁(夜明け前)ほどにつらく見えるものはありません。

[解説・注釈]

壬生忠岑(みぶのただみね,生没年不詳)は三十六歌仙の一人であり、『古今和歌集』の撰者に選ばれている歌人でもある。41番の作者・壬生忠見の父に当たる人物であり、官位は低かったが藤原定家からこの歌を絶賛されている。定家は後鳥羽院に『一番の名歌』としてこの『有明の つれなく見えし〜』の歌を推奨したという逸話も残っている。

『有明の月』とは下弦の月のことで、夜が明けてもまだ西の空にうっすらと見える月のことを指しているが、ここでは『女の情念的なつれなさ(冷たさ)』と『月の視覚的なつれなさ(冷たさ)』が掛け合わされた表現になっている。端的に言えば、好きな女の元に通った男が、逢ってもらえずに振られてしまった悲しみを情緒的に歌い上げた歌であり、『色恋・恋愛の道』が最大の関心事だった当時の王朝文化ではこういった歌が非常に高く評価されて(俺もそんなつらく苦しい経験があるという貴族の共感を得て)持て囃されたのだろう。

『暁』とは夜明け前のまだ暗い時間帯のことであり、女に逢って貰うことができなかった男が、暁の時間帯に落ち込んで帰っている時、見上げた有明の月がとても冷え冷えとして冷淡に見えたという『失恋・悲恋の歌』である。

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