34.藤原興風 誰をかも〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『34.藤原興風 誰をかも〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに

藤原興風(ふじわらのおきかぜ)

たれをかも しるひとにせん たかさごの まつもむかしの ともならなくに

(高齢となった私は)いったい誰を知人にすれば良いのだろうか、長寿の象徴とされる高砂の松でさえも、昔からの友人というわけではないのだから。

[解説・注釈]

藤原興風(ふじわらのおきかぜ,生没年不詳)は平安前期に活躍した三十六歌仙の一人であり、音楽の管弦を得意にしていたという。この歌は藤原興風が、高齢になってきた自分自身の老境の孤独や寂しさの情感を込めて作った歌である。

歌にある高齢・長寿を象徴する『高砂の松』は、播磨国高砂(兵庫県高砂市)の加古川の河口近くにあったとされる松であり、藤原興風は老人になって自分の友人知人が一人また一人といなくなっている孤独な胸中をこの松に託してしみじみと詠み上げている。『高砂の松』は『住吉の松』と共に日本の王朝文学・和歌集の古典の世界では長寿を示唆する植物とされている。長寿や老境を『孤独』と重ね合わせている古代では珍しいタイプの歌ではある。

かつて日本の祝言(内輪の結婚式)で歌われていた謡曲『高砂』では、『高砂や この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて月諸ともに出潮の、波の淡路の嶋影や』という形で高砂の松が取り入れられている。

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