35.紀貫之 人はいさ〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『35.紀貫之 人はいさ〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける

紀貫之(きのつらゆき)

ひとはいさ こころもしらず ふるさとは はなぞむかしの かににおいける

人というものは果たして、その心の中は分からないものですが、古里である奈良に咲く花は、昔と何ら変わらない香りのままで匂っていますよ。

[解説・注釈]

紀貫之(きのつらゆき,866頃〜945頃)は平安時代を代表する歌人であり、三十六歌仙の一人である。『古今和歌集』の中心的な撰者であり、その中の『仮名序』の執筆も行っている。日本で初めての平仮名の日記文学である『土佐日記』の著者であり、『新撰和歌集』も編纂するなど日本の和歌史に非常に大きな足跡を残している。『屏風歌』の名人でもあった。

紀貫之は大和国(奈良県)の長谷寺への参詣時に、女主人が切り盛りする宿を定宿としていたが、暫くご無沙汰していたところ、その女主人から『いつも通り宿があるのに、最近はいらっしゃって下さいませんね』という皮肉を言われた。その皮肉に対して紀貫之が梅の花を手折りながら、『旧都の奈良と梅の香りは変わらないのに人の心は変わってしまったのでしょうか(冷たくなってしまったのでしょうか)』という応酬のためのこの歌を詠んだのである。

気心の知れ合った者同士の当意即妙の味わいのあるやり取りを歌にしている。ここでいう『人』は宿の女主人のことであり、『花』は馥郁(ふくいく)とした香りを放つ梅の花のことである。

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