36.清原深養父 夏の夜は〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『36.清原深養父 夏の夜は〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ

清原深養父(きよはらのふかやぶ)

なつのよは まだよいながら あけぬるを くものいずこに つきやどるらん

夏の夜は短くて、まだ宵のうちに明けてきてしまったが、まだ沈みきっていない月はいったい雲のどの辺りに宿っているのだろうか。

[解説・注釈]

清原深養父(きよはらのふかやぶ,生没年不詳)は平安時代前期の歌人であるが、清原元輔の祖父、『枕草子』を書いた清少納言の曽祖父としてその名を知られている。朝廷では内蔵大允の官職を務めていたという。

日本の暑い夏の夜の風情を愛でるような歌であり、『夏の夜の短さ』の味わいの余韻を見事に歌に詠んでいる。まだ宵の時間帯に空が明るくなってしまい、月はまだ山の向こうに沈みきっていないが、その月が雲の中に隠れてしまっている様子を見て、夏の月が『山』ではなく『雲』に宿を取っているのだろうという擬人化した表現を使っている。

子孫の清少納言も『枕草子 初段』において、『夏は夜。月の頃はさらなり』と書いており、清原深養父と同様に『夏の短い夜の月』の風情を愛でている。

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