優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。
小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『37.文屋朝康 白露に〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。
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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)
[和歌・読み方・現代語訳]
白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
文屋朝康(ふんやのあさやす)
しらつゆに かぜのふきしく あきののは つらぬきとめぬ たまぞちりける
草の上に置いた白露に、風が吹き付けている秋の野原は、紐を通して繋いでいない真珠の玉が乱れちったように、白露が風で吹き散らされていくな。
[解説・注釈]
文屋朝康(ふんやのあさやす,生没年不詳)は平安時代前期の歌人であり、22番・文屋康秀(ふんやのやすひで)の子に当たる人物である。
野原の草に結んでいる白露が、強い風に吹きつけられてバラバラに乱れていく様子を、『糸につながれていない真珠の玉』がバラバラに乱れちっている様子に喩えている歌である。草場の上にある光を受けて輝く白露が、風に吹き散らされる美しも儚い光景を切り取って詠んでいる。古代では白露は真珠の玉に喩えられることが多かったが、『源氏物語 野分』にも野原で風に吹かれて乱れている露の玉が描かれており、当時の日本人の自然観察の心情に強く訴え掛けるものがあったようだ。
真珠の『玉』は『魂』の暗喩でもあり、露の玉が動いて乱れることは『魂の動揺・消失(=死)』という不吉な予兆やメタファーとしても機能していた。
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