38.右近 忘らるる〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『38.右近 忘らるる〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな

右近(うこん)

わすらるる みをばおもわず ちかいてし ひとのいのちの おしくもあるかな

忘れられてしまう我が身のことは何とも思いませんが、神の前で愛を誓ったあなたの命が(約束を破った神罰によって)失われてしまうというのは惜しいことです。

[解説・注釈]

右近(うこん,生没年不詳)は平安時代中期の女流歌人であり、右近少将・藤原季縄の娘で醍醐天皇の皇后・穏子に仕えていたとされる。

神の前の誓約を破り自分を捨てた『男』に向けて詠まれた歌だが、当時の男女の色恋の道では、相手を裏切らないという『神前の約束・誓約』をすることも多かったようである。その神に対する約束を破ると、『神罰』が下るという俗信が信じられたりもしていた。女が『どうせ忘れられる私のことなどはどうでもいい』と歌っているようにも見えるが、その本心として『神前の約束を破ったあなたの命が失われるかもしれないと思うと心配だわ』という皮肉めいた心情を吐露しているのである。

この右近の歌は『大和物語 84段』の歌だとも言われるが、それが事実だとするとこの裏切った男の正体は百人一首の43番・藤原敦忠(ふじわらのあつただ)ということになってくる。藤原敦忠は、菅原道真と敵対していた藤原時平の三男である。右近自身は恋多き女であり、敦忠以外にも元良親王、藤原朝忠、藤原師輔、源順らと交際していたという。

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