96.入道前太政大臣の歌:花さそふ嵐の庭の雪ならで~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤原俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『96.入道前太政大臣の歌:花さそふ嵐の庭の雪ならで~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり

入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)

はなさそう あらしのにわの ゆきならで ふりゆくものは わがみなりけり

落花を誘うような強風が吹く庭では、雪のように桜の花が降っているけれども、本当に古りゆく(ふりゆく)ものは限りある我が身であった。

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[解説・注釈]

入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)は、鎌倉時代初期に初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)に接近して絶大な権勢をほしいままにしたとされる藤原公経(ふじわらのきんつね,1171‐1244,西園寺公経)のことである。藤原公経は百人一首の撰者の藤原定家の義弟に当たる。

1221年の『承久の乱』の時に、鎌倉幕府に内通したことで幕府の権力を味方につけることができた藤原公経は、京都の朝廷で内大臣・太政大臣へと昇進して莫大な財力も手に入れた。京都北山に豪壮な『西園寺(鹿苑寺・金閣寺の前身の山荘)』を建立したことでも知られ、平安時代の藤原氏全盛期に並ぶほどの絢爛豪華で贅沢な生活を送ったとされる。

嵐のような強風によって桜の花びらが雪のように降り注ぎ、『庭の雪』という表現で落花を雪に見立てて、『花吹雪の美しい風景』を詠んでいる。しかし、『落花』は『諸行無常の理』を思わせる儚いものの象徴でもあり、人間の衰退・老化・死を連想させるものでもある。

俗世において太政大臣の位に即き、無上の栄耀栄華を極めたように見える藤原公経もまた、『花』を自らの『権勢』に見立て、いずれは老いて死にゆく『無常の真理(人間の限りある生命・運命)』の前に無力さや虚しさを感じずにはいられなかったのだろう。どんなに権力や豪奢をほしいままにしても、人間である以上は、藤原公経であっても『老い・死の有限性の運命』からは逃れきることができない、桜の花吹雪という全盛期を思わせる表現の背後に、落花という衰退を予兆させる言葉を持ってきているところに味わいがある。

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