87.寂蓮法師の歌:村雨の露もまだ干ぬまきの葉に~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤原俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『87.寂蓮法師の歌:村雨の露もまだ干ぬまきの葉に~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

村雨の 露もまだ干ぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ

寂蓮法師(じゃくれんほうし)

むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに きりたちのぼる あきのゆうぐれ

通り過ぎていった村雨もまだ乾ききっていない、真木の葉の辺りに、ゆっくり霧が立ちのぼってゆく、秋の夕暮れよ。

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[解説・注釈]

寂蓮法師(じゃくれんほうし,生年不詳-1202)は平安後期の歌人であり、俗名を藤原定長(ふじわらのさだなが)といった。寂蓮法師は藤原俊成の甥であり、初めは俊成の養子(寂蓮の父の阿闍梨俊海が俊成の兄弟だった)になっていた。その後、藤原俊成に実子の藤原定家が生まれたために、家を継ぐことができなくなり出家することとなった。寂蓮法師は、藤原定家にとって従兄弟である。

御子左家(みこひだりけ)の歌人である寂蓮法師は『新古今和歌集』の撰者の一人だったが、その完成を見ることなく没した。

この歌は、建仁元年(1201年)2月に後鳥羽法皇が催した『老若五十首歌合』で歌われたものである。この歌合では、寂蓮法師は越前(えちぜん)という女房の歌と勝負をすることになり、寂蓮が勝っている。

『村雨』というのは通り雨・にわか雨のことである。村雨が通り過ぎていった後の濡れた真木の葉、そこにゆっくり立ちのぼってくる霧の様子などを、まるで目の前で景色がダイナミックに動く水墨画のような味わいを持って詠んでいる。水の多い湿気を感じる山の景色がイメージされる歌である。『霧立ちのぼる』という言葉によって水蒸気がやんわりと立ちのぼってゆく動きが表現されていて、『濡れた常緑樹で覆われた秋の山』の独特の風情が伝わってくる。

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