65.相模の歌:恨みわび干さぬ袖だにあるものを~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『65.相模の歌:恨みわび干さぬ袖だにあるものを~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

恨みわび 干さぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ

相模(さがみ)

うらみわび ほさぬそでだに あるものを こいにくちなん なこそおしけれ

恨むことに疲れ果て、涙が乾くことのない袖が朽ちていくのさえ惜しいのに、多情な恋の浮き名で朽ちていく私の名声・評判は更に惜しいものです。

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[解説・注釈]

相模(さがみ,生没年不詳)は平安中期の歌人で、相模守大江公資(さがみのかみおおえのきんより)の妻だったが公資とは離婚して、多くの男性との関係で浮き名を流して評判となった。離婚後には、後朱雀天皇(ごすざくてんのう)の皇女祐子(ゆうし)内親王に仕えた。

相模は複数の男性との恋愛が噂になってその名声を落としたというエピソードを持っているが、この歌では『涙に濡れて乾かしていない袖』と『浮き名によって失墜してしまった名声』とが重ね合わせられている。自分を裏切った男を恨むことにも疲れた相模が、『袖』と『名声(世間の評判)』との両方がダメになっていく様子を思い浮かべて、癒し難い自分の傷心の情趣を歌い上げている。

目に見える袖(物質)と目に見えない名(名声)とを掛け合わせることで、恋に失敗して涙で袖をクタクタにする姿、世間の自分に対する目線が厳しくなって名声が失墜する苦悩を上手く詠んでいる。この歌は、『永承六年内裏歌合(だいりうたあわせ)』の題詠歌として相模が詠んだとされる歌である。

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