優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。
小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『48.源重之 風をいたみ〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。
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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)
[和歌・読み方・現代語訳]
風をいたみ 岩打つ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな
源重之(みなもとのしげゆき)
かぜをいたみ いわうつなみの おのれのみ くだけてものを おもうころかな
風の勢いが激しくて、岩に打ち付ける波は自分だけが砕け散っている。その波と同じように、相手を思う私の恋心は自分だけが砕けっているように感じてしまう。
[解説・注釈]
源重之(みなもとのしげゆき,生年不詳-1000年頃)は、清和天皇の曾孫でありながらも、地方官を歴任して陸奥守に左遷されその地で没した人物である。平安中期の歌人で、三十六歌仙の一人に数えられている。
『風をいたみ 岩打つ波の』が『序詞(じょことば)』として機能しているが、“いたみ”というのは“いたし”が変形した言葉で『激しい』という意味である。激しい風に煽られて岩に打ち付ける波が描写され、『打ち付けて砕ける波』と『波が当たっても微動だにしない岩』が対照的に示されている。
その対照的な自然描写の波と岩の比較から転じて、『必死に恋心を寄せて言い寄る男』と『男のアプローチに微動だにしない固くて冷たい女』との恋愛模様が浮かび上がってくるのだが、ぶつかって砕ける波(男)とぶつかられても変わらない岩(女)とを比喩を用いて見事に表現している歌である。
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