42.清原元輔 契りきな〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『42.清原元輔 契りきな〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは

清原元輔(きよはらのもとすけ)

ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すゑのまつやま なみこさじとは

お互いに涙で濡れた袖を絞りながら約束をしましたよね、波があの末の松山を越えることがないように、私たちの恋も決して変わらないでいようということを。しかし、あなたは変わってしまった。

[解説・注釈]

清原元輔(きよはらのもとすけ,908〜990)は、平安中期の歌人で三十六歌仙の一人であり、『万葉集』を解釈して訓点をつけられるほどの博識な学者でもあった。和歌が多作であったことでも知られ、『後撰和歌集』の撰者にもなっている。『枕草子』の作者・清少納言(62番作者)の父親であり、36番作者の清原深養父の孫に当たる人物である。

この歌の元になっている本歌は、“君をおきて あだし心を わが持たば 末の松山 波も越えなむ”という『古今和歌集 東歌 1093』である。『末の松山』は決まり文句であり、陸奥国につながる『歌枕』になっており、現在の宮城県多賀城市に末の松山の古跡となっている松が残されている。

この歌は、『女に裏切られた男の哀切な心情・未練』を歌い上げたものである。お互いに心変わりをすることなどないと誓い合った仲だったのに、『女の気持ち』が変わってしまったことを強く嘆いて責めるような口調になっている。末の松山はどんなに高い波がやってきても越えられない地点と考えられていたが、ここでは『末の松山』を『不変の恋愛感情』になぞらえており、その恋愛が破綻してしまった悲しみや絶望感を訴えているのである。

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