43.権中納言敦忠 逢ひ見ての〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『43.権中納言敦忠 逢ひ見ての〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり

権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ)

あいみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもわざりけり

あなたと逢って抱き合った後に起こってくる苦しくて虚しい心と比較すれば、昔の物思いなどは、ほとんど大したことはありませんでした。

[解説・注釈]

権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ,906〜943)は、平安中期の歌人で三十六歌仙の一人である。本名は藤原敦忠。菅原道真を左遷した左大臣藤原時平の子に当たる人物である。17番作者の在原業平は母方の曽祖父に当たるが、この藤原敦忠も38番作者の右近をはじめとして多くの女性と浮名を流した色男(プレイボーイ)であった。38番の右近の歌も、この藤原敦忠に向けて詠まれたものではないかと考えられている。

藤原敦忠は女性にモテる美男子で、管弦と和歌の名人であったという。この歌は、『恋愛が成就する前の心理』と『恋愛が成就した後の心理』を比較して、男女の関係になった後のほうがより苦しくて悩ましい気持ちになってしまうということを歌っている。男女で愛し合った後の翌朝の寂しさ・虚しさを詠んだ歌と推測されているが、当時は男女が愛し合った後の虚脱した朝のことを『後朝(きぬぎぬ)』という言葉で表現していた。

人間は異性(他者)に片思いをしている時も苦しくて悩ましいものだが、その恋が成就した後にも『片思いの時以上の葛藤・苦悩』が起こりやすくなるものであり、そういった現代でも通用する『普遍的な恋の悩み』を歌い上げている。この歌に詠まれたつらい恋の相手は、叔父・藤原忠平の娘の貴子(きし)、あるいは叔父・藤原仲平の娘の明子(めいし)ではないかと推測されているが、右近の可能性も捨てきれない。この恋は結局、敦忠の父親・時平の反対によって上手くいかなかったらしい。

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