64.権中納言定頼の歌:朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『64.権中納言定頼の歌:朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木

権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)

あさぼらけ うじのかわぎり たえだえに あらわれわたる せぜのあじろぎ

空が白む夜明けの頃、宇治川に立ち込めていた川霧が少しずつ絶えてきて、その霧の絶え間から現れてくる浅瀬の所々に掛けられた網代木(魚捕りのための網の仕掛けのための杭木)。

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[解説・注釈]

権中納言定頼・藤原定頼(ごんちゅうなごんさだより,995-1045)は、平安中期の歌人で中古三十六歌仙の一人に数えられている。山城国(京都府)の宇治川は、毎朝のように川霧が立ち込める景色と、網代(あじろ)という網の仕掛けを用いた氷魚漁(ひおりょう)で当時から有名な川であった。この歌の末句にある『瀬々の網代木』というのも、網代漁に関連した杭木(くいぎ)のことで、氷魚を捕るために川の浅瀬に数百の杭を打ち込んだ壮観な眺めを観賞する貴族が多かったようである。

藤原道綱母の『蜻蛉日記』や菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)の『更級日記』にも、宇治川の網代漁の景色についての記述が残されており、貴族たちの別荘も多かった宇治では網代・網代木のある景観というのが土地の風流な眺めとして愛されていた。

一枚の絵画のような叙景の歌であるが、千載集の詞書には『宇治にまかりてはべりけるときよめる』と書かれており、山城国の宇治という土地は『源氏物語』にも登場している。『源氏物語 宇治十貼(うじじゅうじょう)』では浮舟という女性が宇治川で入水自殺を試みて失敗し出家することになるのだが、紫式部にとっても何らかの思い入れのある土地・川だったのだろうか。

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