52.藤原道信朝臣 明けぬれば〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『52.藤原道信朝臣 明けぬれば〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな

藤原道信朝臣(ふじわらのみちのぶあそん)

あけぬれば くるるものとは しりながら なおうらめしき あさぼらけかな

夜が明けて太陽が昇っても、また日が暮れてしまうというのは知っているが、それでも恨めしく思ってしまうな、この朝ぼらけ(夜明けの薄明るい時)を。

[解説・注釈]

藤原道信(ふじわらのみちのぶ,972-994)は、平安中期の歌人で中古三十六歌仙の一人に数えられるが、道信の母親は45番作者・謙徳公(藤原伊尹)の娘である。藤原道信は容姿に秀でた才人であり、一条天皇の御代の宮中で人気があったが、23歳の若さで早逝してしまいその死を多くの人に惜しまれたという。

愛している恋人と別れなければならない『朝ぼらけ(夜明けの日の光が射し始める頃)』を恨めしく思うという歌である。当時の色恋は夜の時間に女のところに通っていく『通い婚』であるため、朝の光が射し始める時間になると、好きな女性の前から去らなければならなかった。『夜明けの淋しさ・悲しみ』を謳う和歌は、平安時代の定番であるが、早朝の朝ぼらけというのは『好きな女との楽しかった時間が終わりかけていく時間帯』だったのである。

『後拾遺和歌集』の出典には『女のもとより雪降り侍りける日、帰りてつかはしける』とあり、女の屋敷からとぼとぼと帰った雪の日の朝に詠んだ歌とされている。藤原道信の歌は、世間体や身の破滅を恐れずに愛する女への愛情を燃やし続ける『理想的な当時の男性像(色恋の道に生きる風流な男)』を示しており、女と逢って燃え上がる“夜”と女と別れる淋しい“朝”のリアルな感覚が伝わってくる。

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