50.藤原義孝 君がため〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『50.藤原義孝 君がため〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな

藤原義孝(ふじわらのよしたか)

きみがため おしからざりし いのちさえ ながくもがなと おもいけるかな

あなたのためであれば捨てても惜しくはないと思っていたこの命ですが、あなたに実際に逢ってしまうとやはりまだ長生きをしたい、もっと逢いたいと思ってしまうようになりました。

[解説・注釈]

藤原義孝(ふじわらのよしたか,954-974)は、平安中期の歌人で中古三十六歌仙の一人に数えられている。藤原義孝は、藤原伊尹(謙徳公)の子であり、藤原行成(三蹟の一人)の父でもあるが、『長く生きて恋しいあなたにもっと逢いたい』という願いは虚しく、流行した天然痘に罹って兄の藤原挙賢と同日に21歳の若さで逝去してしまった。

愛しい恋人のためであれば自分の命を捨てても惜しくなどないと思っていた『過去の心境』と実際に恋人と逢ってからまだずっと逢い続けたい、もっと長生きしたいと思うようになった『現在の心境』とを絶妙なタッチで対比させている。この歌の出典は『後拾遺和歌集』であり、その詞書に『女のもとより帰りてつかはしける』とあるように、好きだった女と初めて契りを交わして帰る翌朝に、この歌(死ぬのが惜しくなったという心境の変化の歌)を詠んだのである。

愛する恋人と結ばれた今となっては、少しでも長生きしたい、まだ何度もあなたと逢い続けたいと思うようになった藤原義孝だったが、当時猛威を振るった伝染病の天然痘に罹患してしまい、わずか21歳という若さでこの世を去るという悲運に見舞われてしまった。藤原定家がこの義孝の歌を百人一首の一つに選んだ背景には、才色兼備の貴公子として知られていた藤原義孝を突如襲った悲劇への同情もあったのかもしれない。『美人薄命の男性版』のようなエピソードを持つ人物である。

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