51.藤原実方朝臣 かくとだに〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『51.藤原実方朝臣 かくとだに〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを

藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)

かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもいを

このようにあなたが好きだと言うこともできずにいるのですが、あなたは伊吹山のさしも草が燃える火のように、私の恋心が燃えていることなどきっと知らないでしょうね。

[解説・注釈]

藤原実方(ふじわらのさねかた,生年不詳-998)は、平安中期の歌人で中古三十六歌仙の一人に数えられるが、『枕草子』を書いた清少納言を愛人にしていたことでも知られる。藤原実方は26番作者の貞信公(藤原忠平)の曾孫に当たり、円融天皇・花山天皇に仕えて左近中将として厚遇された。だが、藤原行成と喧嘩して行成の冠を投げ捨てる所を一条天皇に目撃されてしまい、その処罰として陸奥守へと左遷されてしまった。

相当に入念な技巧を凝らした歌であり、この歌の歴史的評価には肯定的なものも否定的なものもある。『かく』で恋する自分の心理を表し、『えやは』の『え』はその下に否定の反語を持ってきて『不可能(言うことができない)』を表している。伊吹山の所在地は確定されておらず、下野国(栃木県)にあったという説と近江国(滋賀県)にあったという説の二つがある。

『さしも草』というのは、お灸にする蓬(よもぎ)の艾(もぐさ)のことであり、『さしも』という言葉が掛け合わされている。『思ひ』の『ひ』にも『火』という意味が重ねられており、燃え盛るような恋心の激しさを物語ろうとしている。出典は『後拾遺和歌集』の詞書にある『女にはじめてつかはしける』であり、好きな女性に初めて送った手紙に添えた和歌ではないかと考えられている。歌人の西行(さいぎょう)が陸奥国を旅した時に、この藤原実方のお墓を発見して、『山家集(さんかしゅう)』で次の歌を残している。

朽ちもせぬ その名ばかりを とどめおきて 枯野のすすき 形見にぞ見る

(朽ち果てることのない名声だけを残して藤原実方様はこの世を去られましたが、この墓の周辺に生える薄だけを実方様の形見として見ています)

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