59.赤染衛門 やすらはで~ 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『59.赤染衛門 やすらはで~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな

赤染衛門(あかぞめえもん)

やすらわで ねなましものを さよふけて かたぶくまでの つきをみしかな

あなたが来るのをいつまでもぐずぐず待っていないで(来るか来ないか迷って起きていないで)、寝てしまえば良かったのに。もう夜が更けてしまって、月が西の山へと傾く時間まで見てしまいました。

[解説・注釈]

赤染衛門(あかぞめえもん,生没年不詳)は、平安中期の歌人で、赤染時用(あかぞめのときもち)の娘であり、文章博士・大江匡衡(おおえのまさひら)の妻である。『袋草紙』では、実父は母の前夫・平兼盛であるとも伝えられる。73番作者の大江匡房(おおえのまさふさ)の曾祖母に当たり、紫式部と同じく中宮彰子に仕えていたとされる。赤染衛門が『栄花物語(えいがものがたり)』の作者とする伝承もある。

この歌は赤染衛門本人の恋について歌った歌ではなく、赤染衛門の姉妹の『代作』の歌である。姉妹が藤原道隆と恋をしていて、夜に逢うという約束をすっぽかされてしまった時に、代作として詠んだものと伝えられている。『やすらはで』は、『躊躇する・グズグズする・迷って悩む』という意味の『やすらふ』の未然形に、打ち消しの接続助詞『で』がついたものである。

来もしないあなたのことをぐずぐず待ち続けずに、早く寝てしまえば良かった(いつの間にか夜が更けて月が西の山に傾いてしまった)というちょっと不貞腐れて怒っているような感じの歌だが、本人ではない赤染衛門の代作なので、それなりに軽妙さや客観性も感じられる。

『後拾遺和歌集』の詞書(ことばがき)には以下のようにあり、赤染衛門が『女の姉妹』の代わりに男が来なかった翌朝にこの代作の恋歌を詠んだことが分かる。

中関白少将に侍りける時、はらからなる人にもの言ひわたり侍りけり、頼めてまうで来ざりけるつとめて、女にかはりてよめる。

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