優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。
小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『57.紫式部 めぐり逢ひて~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。
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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)
[和歌・読み方・現代語訳]
めぐり逢ひて 見しやそれとも 分かぬ間に 雲隠れにし 夜半の月影
紫式部(むらさきしきぶ)
めぐりあいて みしやそれとも わかぬまに くもがくれにし よわのつきかげ
あなたと巡り逢って見たのが月かどうかも分からないうちに、雲隠れして見えなくなってしまった夜半の月よ。(やっと巡り逢うことができたあなたが、幼馴染みだった友達なのかも分からないうちに、あなたは雲隠れするようにいなくなってしまいましたね)
[解説・注釈]
紫式部(むらさきしきぶ,970年頃~1010年頃)は、世界最古とも言われる宮廷恋愛物語『源氏物語』を書き残した女流作家として知られるが、このような味わいのある和歌も数多く残している。一条天皇の中宮彰子に仕えた紫式部は『紫式部日記』も書いている。紫式部は藤原為時の娘であり、27番作者の藤原兼輔は曽祖父に当たる人物である。藤原宣孝の妻で、58番作者の大弐三位の母にも当たる。
『小倉百人一首』のこの57番を含めて、紫式部の代表的な和歌には『男性との恋歌』よりも『同性の友達との歌』が多いという面白い特徴があり、この歌も『新古今和歌集の詞書(ことばがき)』が無ければ恋歌と勘違いしてしまいそうな内容である。『めぐり逢ひて』と『雲隠れし』の主語は、“月”であると同時に“友達”にもなっている。新古今和歌集の詞書には以下のように記されている。
はやくより童友達(わらわともだち)に侍りける人の、年頃経て行きあひたる、ほのかにて、七月十日のころ、月にきほひて帰り侍りければ
大好きな昔馴染みの友達がふと姿を現したのに、すぐにその姿が雲隠れするようにして消えてしまったという切なさや寂しさ、虚しさを詠み込んだ歌であり、当時の平安王朝の『女性同士の友情・交流の深さ』を偲ぶことができる。
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