優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤原俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。
小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『82.道因法師の歌:思ひわびさても命はあるものを~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。
参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)
[和歌・読み方・現代語訳]
思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり
道因法師(どういんほうし)
おもいわび さてもいのちは あるものを うきにたえぬは なみだなりけり
上手くいかない恋の思いにひどく苦しんでいても、それでも命は無くならずにあるものだ。そのつらさに耐え切れずに零れ落ちるのは、涙であることよ。
[解説・注釈]
道因法師(どういんほうし,生没年不詳)は平安後期の歌人で、その俗名を藤原敦頼(ふじわらのあつより)といった。歌道への執着が強く、90歳以上の高齢になるまで歌道に精進したとされるが、自分の歌が歌合(歌会)で評価されないと機嫌が悪くなるなど、かなり癖の強いわがままな性格の人物であったと伝えられる。歌合では、藤原清輔に敗れた記録が残されており、歌人としての公的な評価はそれほど高くはなかった。
『思ひわび』というのは、恋で相手を思うことに疲れきってしまって気力を喪失しているような状態のことをいう。恋の苦しみで死んでしまいたいほどに疲弊・憔悴しているのだが、それでも生きながらえているという苦悩がこの歌では詠まれており、その苦悩がぎりぎりまで高まって堪えきれずに、涙が零れてしまうということなのである。
歌の世界では、『命』は『露』に例えられるが、これは命も露もいつ消えてもおかしくないくらいに儚いということである。『涙』もまた『露』に例えられることが多く、ここでは『命』と『涙』がいつこぼれ落ちてもおかしくない恋の苦しみの緊張状態に置かれているのである。そして、死にたいほどにつらくて苦しい恋なのに、『涙』のほうが堪えられずに先に零れてしまい、後に『命』のほうが残ってしまうのである。
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