67.周防内侍の歌:春の夜の夢ばかりなる手枕に~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『67.周防内侍の歌:春の夜の夢ばかりなる手枕に~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそ惜しけれ

周防内侍(すおうのないし)

はるのよの ゆめばかりなる たまくらに かいなくたたむ なこそおしけれ

春の夜の短い夢のように、わずかな時間に過ぎないあなたの手枕だったのに、つまらなく立ち上がってくる俗世の噂話(浮き名の噂話)が残念で悔しいことです。

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[解説・注釈]

周防内侍(すおうのないし,生没年不詳)は、平安後期の歌人で周防守平棟仲の娘・仲子だとも推測される宮中で長く仕えていた女房である。後冷泉天皇の御代から堀河天皇の御代まで4代の天皇に約40年にもわたって仕えたベテランの女房として知られる。この歌は、その周防内侍がまだ年若い女性だった時期に、下心が透けて見える中年男の和歌を通したお誘いを知的にやんわり振ったという意味合いがある。

春の月が美しく輝いている夜、章子内親王(後一条天皇の皇女で後冷泉天皇と婚姻した女性)の御所で、周防内侍と殿上人・女房たちが夜を明かして楽しく歓談をしていた。眠たくなってきた周防内侍が柱に寄りかかって『枕が欲しいわ』とささやいたところ、中年の男性貴族・藤原忠家が『それでは、これをどうぞ』と御簾の中へ腕枕を差し出してきて誘惑したのである。その誘惑に対して、知的なウィット(機知)の効いた言い回しで上手く拒否してみせた歌が、この67番の歌である。

出典は『千載和歌集(せんざいわかしゅう)』で、詞書(ことばがき)には『二月(きさらぎ)ばかり月明き夜、二条院にて人々あまた居明かして物語などし侍りけるに、内侍周防寄り臥して、枕をがなと、しのびやかに言ふを聞きて、大納言忠家、これを枕にとてかひなを御簾の下よりさし入れて侍りければ、詠み侍りける』と書かれている。

『かひなく』には、『甲斐なく』と『腕(かひな)』とが掛け合わされている。この歌には、『春の夜』『夢』『手枕』など男女の仲がこれから深まるかもしれない予兆や比喩としての言葉が散りばめられているが、下の句で見事に藤原忠家の気持ちを振り切って交わしているのである。

しかし、この藤原忠家という中年男性は『女性のやんわりした拒絶』にめげない肉食系男子だったようで、『契りありて 春の夜深き 手枕を いかがかひなき 夢になすべき』という歌(『千載和歌集』)を詠んだりもしている。

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