81.後徳大寺左大臣の歌:ほととぎす鳴きつる方をながむれば~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤原俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『81.後徳大寺左大臣の歌:ほととぎす鳴きつる方をながむれば~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる

後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)

ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる

ほととぎす(郭公)が鳴いた方角を眺めてみると、ただ有明の月だけが残っている。

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[解説・注釈]

後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん,1139-1191)は、右大臣・藤原公能(ふじわらのきんよし)の子の『藤原実定(ふじわらのさねさだ)』のことである。藤原実定は『詩歌・管弦・今様』に優れた風流人であったが、政治的には不遇であったため、出世のために人脈を辿って工作するような俗人としての一面も濃厚に持っていたという。

ほととぎすは『夏の風物詩』とも言えるホトトギス科の鳥であり、『万葉集』の時代からよく歌に詠まれている非常に人気の高い鳥である。特に、一晩中待ってから明け方に聴く『初音(はつね)』と呼ばれるほととぎすの鳴き声に風流な情趣があると言われていて、この歌に詠まれているほととぎすの鳴き声も早朝・明け方の初音だったのかもしれない。

『暁に郭公(ほととぎす)を聞く』というお題で詠まれた歌であるが、『有明の月(明け方に見える月)』は男女の逢瀬が終わった後の『後朝(きぬぎぬ)』と深い関係があるので、この歌の情景というのも後朝の時にほととぎすの早朝の鳴き声を聞いたというものなのだろうか。

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